こんにちは。絵と文のイラストレーター、「さくらみ(さくらみゆき)」です。
こちらでは、イラスト制作風景や、日常の中のやさしい時間、
心躍るひとときを、イラストでお伝えしていきます。
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皇居、八重桜のぼんぼりと…

八重桜_11.JPG

少し前まで、
あれほど花見で賑わっていた
皇居半蔵門の「千鳥ヶ淵公園」は…





八重桜_6.JPG









八重桜_7.JPG

ソメイヨシノが散ると共に、

今は静かに、人のいない時間

を過ごしています









そこに満開で咲いているのは


八重桜_1.JPG







八重桜_3.JPG

八重桜









八重桜_5.JPG
ほぅっと、ため息が出るような、

やわらかい時間が流れて…







八重桜_4.JPG

まさに桃源郷のよう





八重桜_18.JPG

カラスノエンドウも花盛り





八重桜_19.JPG

スズランのようなアセビも





八重桜_20.JPG

白と黄色の菜の花も…





八重桜_15.JPG
松だって、こんなに元気!





ほら、あっちでも
八重桜_16.JPG





こっちでも…
八重桜_17.JPG
ツノを青空にピンと立てて、
受粉しようとしています♪



八重桜_13.JPG
ちなみに、
天に向かって突き出ているのはメスの花







オスは下のほうにいるこちらです
八重桜_14.JPG







この時期は、もみじもかわいい赤い花を
たくさんつけているのよネ

八重桜_21.JPG





そして、今年も、八重桜の回廊が…




































八重桜_28.JPG







八重桜_30.JPG


こんなに激しく咲かなくても…と

思うくらい、



切ないほど半狂乱なのは、



花が今、

恋の時期を迎えているから
















八重桜_35.JPG











八重桜_32.JPG











八重桜_34.JPG
















人がいないのに、花だけが

咲いている、

美しくも不思議な光景の中で



私は、

亡くなった母や、父や祖母のこと、

早逝してしまった友人のことを

思い出していました




八重桜_37.JPG







そして、もうひとつ







八重桜_42.JPG













八重桜_41.JPG







早く余震がおさまって、



熊本、大分、ならびに九州の皆さまが、

安心して復興に向かえる日が
やってきますように…








八重桜_39.JPG


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

迷いましたが、気持ちを切り替えて、


これはこれで、私の仕事ということで
しっかりお知らせします。


東京江戸博物館の、第1話、更新しました!

こちら↓です。

sakuramiyuki.hatenablog.com





 

 
JUGEMテーマ:東京散歩
 

新しい試みを始めます♪



こんばんは!

今日は、新しい試みで、
「はてなブログ」というサーバーに
記事を描いてみましたので、
そちらへ皆さんをご案内します。

2006年から、
このJUGEMでブログを
書き始めて、ちょうど10年。

これを区切りにちょっと、
いろんなことを
試してみたくなったというわけです。

ちなみに、
このブログはホームとして残し、
日常の小さなつぶやきは
続けていくつもりです。

一方、「はてなブログ」のほうは、
もう少し東京を紹介することに
特化したブログにする予定。

全てが予定なので、
どうするかはまだ決めていない
のですが、やがては
シンプルに絞っていきたいなとは
思っています。

ちなみに、新しいブログの名も
「東京イラスト&ルポ」です。

ブログ名を変えるとしたら、
こっちの方で、
今はまだ検討中。

今のところ、
こちらのブログでアップした
2記事を実験的に
「はてなブログ」にも
そのまんま載せてみて、
どんな見た目になるのか、
タイトル周りなど、
ひそかにいろんな調整を
はかってきました。


なので、新しい記事
(と言いますか、過去記事の
 修正加筆版なんですが)
を公開するのは、今日が始めてです。

iPhoneなど携帯で
ご覧くださっている方は
特に、見づらいかもしれません。
はてなブログはまだ無料版なので
広告とかも結構入っちゃう
らしいので。

でも、それも含めて
大実験ということで、
どうか温かい目で
見守ってやってください。

今後とも、
新しい「東京イラスト&ルポ」
ともども、
どうぞ宜しくお願いします!

では、皆様、離陸いたしますよ。
飛行機上向き
→こちらへどうぞ!
sakuramiyuki.hatenablog.com
 
新宿市ヶ谷の縄文人
新宿歴史博物館_1.JPG

今から歴史をさかのぼること、
約2千年前、日本には
「弥生人」が住んでいました。

弥生人から現代人になるまでを
ざっとおさらいしてみると、
--

稲作が始まって、
土地争いが起こり、
階級社会が生まれ
文字が出来て法律が整えられ、

古墳時代から飛鳥、奈良、平安、
鎌倉、室町、安土桃山時代まで、
群雄割拠し、長い時間をかけて
何度も領地戦いや
政権争いをすることで
だんだんと拡大・統一され、
道も整備されてゆき…

やっと江戸時代になって
国がひとつになって安定します。

--

300年後にもう一回、
天下二分の戦いがあって維新を迎え、

その後、軍国主義になって、
八紘一宇、
海外への拡大政策が取られるも、
太平洋戦争で負け、

--


敗戦から立ち上がった勢いで、
バリバリ働いて、
経済成長期を迎えるも、
やがてバブルがはじけ、

今は情報化社会になり、
初めての少子高齢化時代を迎えています。

そんな沢山のことが
ぎゅうっと凝縮された二千年間…


その弥生時代の前に「もう一つ」2千年を
足してみてください。

それが「縄文時代」です。

そう、縄文時代とは、
2千年も続いたとっても長い時間
を指しているんですね。


そんなはるか昔に生きていた
ご先祖さまたちのことを、
正確に知ろうとするのは
なかなか難しいことです。


縄文時代人の骨でも、いっぱい
残っていてくれればいいんですけど、
骨って結構、簡単に溶けて
土に還ってしまうんですね。


そりゃそうですよネ、
そうじゃなきゃ、今ごろ足元は
人間のみならず、
恐竜や動物の骨だらけで
足の踏み場もないはずです。


逆に言うと、
江戸時代辺りのご先祖さまたちの骨は、
まだ足元にゴロゴロ積み重なって
いると思われます、
気付かないだけで…


とにかく、そんなわけで、
東京の市ヶ谷、外苑東通り沿いから
2012年11月に人骨が発掘されたときは、
「すわ、殺人事件か?!」
と大騒ぎになったわけです。


東京の地形図
縄文人_3.JPG

図の右下に皇居のお堀の
水路が見えますね。


その皇居の左上を拡大すると…

縄文人_1.JPG
はい、見えてきました。
この辺りが人骨が見つかった
外苑東通りです。


縄文人_7.JPG

そう、その骨は、なんと
縄文人の骨だったのです。

これはすごいことでした。
関東ローム層と言われる、
酸性の土壌で、骨が残るのは
大変なことです。

しかも、ほぼ完全体の骨が
いくつも。

プロの目からは、一発で縄文人と判明しました。



「おどろきの東京縄文人」瀧井宏臣著

この本は、昨年読んだ本の中で
もっとも沢山付箋がついた本、
つまり、もっとも面白かった本でした


お世話になっている出版社さんの住所に
近いこともあり、読んだあとは
コーフンして、社長さんにも
本をおすすめしちゃいました


調査がある程度まとまったら、
展覧会をするということで
「いつかな、いつかな〜」
と楽しみにしていたのですが、

このたび、東京や江戸に大変詳しい
黒田涼さんという作家さんの
Twitterとブログで開催を知り、
早速私も行ってみました♪



(撮影は、フラッシュを焚かなければ
 オッケーとのことです)
縄文人.JPG

うわー、発掘されております!


縄文人_8.JPG

発掘されております!


縄文人_4.JPG


…すばらしい!


縄文人_2.JPG



谷筋というのは、
谷に降りれば水もあるし
台地で見晴らしもよく、
(富士山も見える♪)

ここは海にも近いし、
(皇居の辺りがその頃は海だった)
山の幸も豊富、

つまり、ご先祖さまたちにとって、
この辺りは
とても住みやすい環境だったようで、
いろんな時代の遺跡が
わりとよく出てくるんですって。



なかでも、
「12号」とネーミングされた
こちらの人骨

縄文人_11.JPG


マイルカのあごの骨を
縄文人_5.JPG


縄文人_6.JPG

腰の飾りにしていたそうで、


縄文人_39.JPG
(腰につけた飾り)

かなり力のある、リーダー格の
男性だったようです。


縄文人_14.JPG


え!?頭に陥没のあと?

縄文人_12.JPG


縄文人_13.JPG

なるほど!
骨折して、その後
自然治癒したことまで、
バッチリわかっちゃうんですね。


縄文人_15.JPG

身長は161.2センチ。
年齢は40歳代。


このお顔が、
骨に沿って、丁寧に
復元されたのがこちらです。

縄文人_17.JPG


縄文人_16.JPG


この彫りの深さ!
俳優さんになれますね。

沖縄の人や、
北海道のアイヌの人たちの
お顔に近いでしょうか。

弥生人系鼻ペチャの
私はちょっと憧れます。


骨のミトコンドリアからDNAを調べてみると、
母方のルーツだけがわかるそうで、
シベリア南部のバイカル湖系の
人種にたどり着くそう。

ふ〜む、言われてみると、
シベリア系な感じかも…


縄文人_28.JPG


ちなみに、骨からコラーゲンを
取り出して、
「生きていた最後の10年間に
何を食べていたか」まで
わかっています。


山の幸は、イノシシ、イモ、ドングリ
海の幸は、シジミ、ハマグリ、
マダイ、ニシン、アジなど。
わりにバランスの良い健康食ですね。


(私たち現代人の骨のコラーゲンには
 2千年後、
 何が残って出てくるんでしょう?
 ちょっと恐ろしい気もする!?)


床には、
お墓の実物大の見取り図が…縄文人_29.JPG

実は、これはお墓ではなく、
竪穴式住居のあと、
そのままなんです。


男性は、亡くなったあと、
住居の真ん中に
横たえるようにして
埋葬されたと考えられています。

縄文人_32.JPG

この骨と家の上には、
そのあとの時代の縄文人骨が
たくさん発見されていて、
それはみんな、仰向けで頭が東向きなんだそう。


つまり、あるときから、
仰向けで頭を東に向けて葬るルール(まじない)
が生まれたんでしょうね。


ほかにも、いろいろ
面白い発見が紹介されていましたが、
私が心惹かれたのは、
やはり復元のようすでした。


縄文人_27.JPG


縄文人_19.JPG




縄文人_21.JPG





縄文人_26.JPG



縄文人_25.JPG
プロはすごい!

…とおもわず唸る、技術力。


中でもこの

縄文人_24.JPG

スケッチが素晴らしい!



復元の過程と内容は、
前述のこちらの本
に詳しいです。


知る人ぞ知るプロたちが、
運び込んだ骨から
丁寧に泥をこそげ落とし、

立体化し、

ときには白熱した議論を
闘わせながら、
どの系統のどんな顔に復元していくか、
衆知を集めて復元されていった様子が
よくわかって感動します。



縄文人_40.JPG

まとめの解説にはこんな言葉が。

「怪我や病気を負いながらも、
 人生の様々な場面をくぐり抜け、
 次第にリーダーとしての威信を
 獲得していった人物像が伺えます」

いいですね〜、
この一言に、人生の厚みが
出てますよね。


そんなわけで、新宿縄文人展、
プロの力の集大成に唸る、
深〜い内容となっております。
新宿歴史博物館.JPG

何より、縄文人の骨と
直接対話できるのは、
めったにないチャンス!

開催は、新宿歴史博物館で
5月6日(水)まで。
9:30〜17:30(入館17:00まで)


この連休に、お時間があったら
ぜひぜひ、
足を伸ばしてみてくださいね!

常設展示も充実していて面白いですよ〜。



JUGEMテーマ:歴史


縄文ショック















福島の宮畑遺跡を見て以来、
すっかり縄文にハマっている私。


敬愛する岡本太郎さんが、
縄文土器を見て
「なんだっっっ!? これは!!!」
と衝撃を受けたというのは
有名な話ですが、


その話を聞いた時も、

「へええ、なるほどねえ。

 だから太郎さんの彫刻は、
 あんなにキュートで
 ダイナミックなのね

くらいにしか受け止めていなかった
自分が…
くぅ〜、悔やまれます。


参考)太郎さんアートの数々↓
太郎アート1.jpg




太郎アート3.jpg



(岡本太郎記念館@青山より)



やはり、子供の頃に勉強した
「歴史の教科書」というものは、

良くも悪くも知らないところで、
人間の知識に、深く影響してしまう
のでしょうか?



私にとっての「縄文時代」とは、
これまで、歴史の教科書1ページ分
くらいの知識と、鮮やかさしか
ありませんでした。


しかーーーーし!!


縄文美術館という本を見ていると、
まあ、大作があるわあるわ、



人はやはり、昔から
こんなにも美しくて、強いものが
好きだったんだなと
実感させられます。


美術館がいくらあっても
足りないくらいのアーティストが、
縄文時代の昔から勢ぞろい
だったのです。



ちなみに、
縄文時代の遺跡は
そんなに数が多くないだろうと
お思いの方、


とんでもございません!!


日本は、縄文遺跡で埋め尽くされて
おります。

まさに、
「裏庭を掘れば遺跡に当たる」と
中沢新一さんがおっしゃった通り。


その中沢新一さんが、東京だけですが
アースダイビングマップを
公開してくださってますので、
興味のある方は、
ぜひ自分のお住まいの近くを
遺跡検索してみてくださいね。



それにしても、縄文土器や
美術品を見ていると、
しみじみと人間というのは、
不思議だなあと思います。


それはやっぱり「心」を持っている
からなんですね。



研ぎ澄ました五感をフル活用して、

風の匂いを嗅ぎ、
森の奥の音に耳を澄まし、

森羅万象をじいっと目を
凝らして観察していた縄文の人々…

「直感」や「気配」を感じるのに
長けていたのは当然のこと。

アートの源流=人間の原点
といったものが、ストレートに
表現されている。


その最たるものは、何と言っても
「祈り」です。


家族のみんなが、末長く健やかで
長生きできますように。

みんなで美味しいものを食べ、
賑やかに、歌い、踊った
あの夜の幸せを、
また味わえますように。



遠くからやってきた
見知らぬ部族の奴らと、
おっかなびっくり話をするうち、
まるで旧知の親友だったかのように
話が通じて、一瞬で
仲良くなれたときの嬉しさ。


大好きなあの人と、
晴れて夫婦になることを
村人に認められたときの
喜びと気恥ずかしさ


ひどい陣痛に苦しんだあと、
生まれてきたわが子が
初めて乳を吸ったときの喜び。

そして、その子が、
寒さと飢えで、
あっけなく死んでしまった
ときの嘆き。


…ああ、また子を産み、
大切に育てなければ。

家族が多ければ、
いろいろなことを助け合えるのだから。

きっと儚く逝ってしまった
あの子も、それを願っている。

もっと強い体になって
もう一度私たちのもとに
生まれてきてくれるに違いない。


そうした感情の深まりと極みが、
土の中に、こねられ、
織り交ぜられて
作られていった作品たち。


ああ、なんて切ない。


それは、命の詩そのものです。


「心」を持って生きるということは、
「物語」を作りながら生きていく、
ということなのですね。




縄文時代の人々の
平均寿命は35歳。

女性は13歳くらいから
母親になるのも
普通だったようですが、
赤ちゃんは、生まれても
なかなか無事に育ちませんでした。

もっとも江戸時代になっても、
大名や徳川家の赤ちゃんでさえ、
なかなか無事に育つのは
大変だったと言いますから、
今の医学の進歩は驚異的なんですね。



もう一つ、縄文美術を見ていて
感じたのは、
やはり人間のすごいところは、
「何でも工夫する」ところだ
ということです。


それも、先人の作ったものを
そのまま真似するのではなく、
常に何かしら進化させようと
試みる。




話はヨーロッパに飛びますが、
「人間って本当に工夫するのが
大好きなんだな…」と
以前私が実感させられたのがこちらの

マンモスの骨住居.jpg





マンモス骨住居説明.jpg
マンモスの骨の住居あとを
見たときでした。



(国立科学博物館@上野)

もちろんこれは
復元されたものですが、
こんなに見事な家の形に
なっている。


身の回りにあるものを
何でも上手に使って、工夫
せずにはいられないのが
人間なんですね。


だから、わが縄文時代の住居も
この通り。

宮畑遺跡の竪穴式住居.jpg
(宮畑遺跡の竪穴式住居)



竪穴住居内部.jpg


竪穴式の中.jpg
豊富な木の資源を活用して、
家づくりがされていたのが
よくわかります。


しかも日本では、
「木の家」が
その後もずっと続いて、
高床式→寝殿造り→武家造り
→書院造り→数寄屋造
と進化し、


江戸時代の庶民の家は
もうかなり、今の私たちの
住まいに近い。
江戸深川資料館.JPG
(深川下町資料館@清澄白河)


江戸深川資料館_3.JPG
長屋


こちらは長屋の中の、
三味線のお師匠さん
「おしづさん」の家↓
江戸深川資料館_1.JPG







六畳一間に




江戸深川資料館_4.JPG
土間兼台所。



大正時代
大正時代の家.jpg

戦時中(昭和)
昭和初期の家.jpg
(最後の2枚は東京江戸博物館@両国)

思えば、
私が7歳まで暮らした家も
「木の家」だったなあ。


そう考えると、
つい最近まで、日本は「木の家」が
優勢だったことになります。

…となると、
火事と地震にはやはり弱い。


でも、
身近にたくさん木材があるから、
やはり木の家が一番建てやすい。

湿気も吸ってくれるし、
自然の優しさがあるし、
いいところもたくさんある。

だったら…、
工夫して住みましょうよ!

火事はなるべく出さないように
町ぐるみで協力しあいましょう!


かくして、
「いとあはれ」「諸行無常」の
無常感と共に、

「助け合い」の精神、
「規律を律儀に守る」精神、
「工夫して使うモッタイナイ」の精神

などがどんどん発達して、
宗教、文化と合体し、
日本人の精神構造が作られていったのだと
思われます。


いずれにしても、
太古の昔から、
切実に「子孫繁栄」を願い、
たくさんの艱難辛苦を乗り越えて、
命と知恵を継いでくださった
ご先祖さまたちがいたこと。


私たちはそのおかげで
今、こうして生きているんだと、
しみじみ思う秋の夜長…



感謝


JUGEMテーマ:歴史
三毛猫侯爵の館と、扇橋◯◯
気になる形の建造物











館のあるじは、
三毛猫侯爵です。




別の方向からも見てみましょう。

…な、長い!?

これだけ回廊の長いお住まいとは、
侯爵、かなり裕福な暮らしを
満喫されているご様子。


しかし、この形を見て、
「あ、これは⚪︎⚪︎ですね!」
とわかっちゃう人がいたら、
相当の猛者ですね




意図的なのか、何なのか、
4つの塔のうち、一つだけ
草がボーボー。
(猫草だったりして!?)


さて、皆さん、
これがなんだか
分かりますか?


ヒント:
この建物を挟み込むようにして
存在しているものをお見せしましょう。





西側には



荒川


な〜んだ〜!
また川の話か…


とおっしゃるなかれ。




だって西側だけじゃなく、
東側もこれまた…
川なんですね〜。


こちらは中川。

ちょうど、小名木川が
始まる場所で、江戸時代には
「舟の関所」
があったところです。



中川からさっきの廃墟を
見上げてみましょう。
階段の向こうに、
例の草ボーボーの塔がちょっこし
見えるでしょ?


さあ、
ここまで来たら、
もうお判りですよね!


そう、この建物は…
侯爵の館ではなく、


「水門」だったのでした。




…「水門? あれ?
こんな形だったっけ?」
と思われた方のために、
日本橋川と亀島川を隔てる
水門の画像を。





もう一つ、
小名木川と隅田川を隔てる
水門の画像もどうぞ。

この、今見えている2基の
青い水門のうちの1基分の、

「上」三分の一だけ見えているのが
この三毛猫侯爵の館なんです。

ほお〜、なるほどね〜!


下3分の2は、堤防の土手に
埋められてしまったのですね。


実はこの旧水門、
ただの水門ではなく、
「閘門(こうもん)」と言いまして、
別名ロックゲートと呼ばれるものです。




ロックゲート


ロカビリーでも聞こえてきそう
ですが、ロック違い。

世界的には、
パナマ運河のロックゲートが
とても有名です。
  

ロックゲートの構造を一言で言うと、
水位の違う川を、
スムーズに行き来できるようにした
「舟のエレベーター」


今は、この近くに
「荒川ロックゲート」が新設され、
そちらが大活躍をしています。


その荒川ロックゲートでは
ありませんが、
先日、舟くだりの際に、小名木川で
私も「舟のエレベーター」を
体験してまいりました

(扇橋閘門・江東区住吉駅近く)
まず、後扉から、
エレベーターの中に
舟ごと入ります。


入ると、後ろ扉が音楽と共に
ぐんぐん閉まっていきます。





すると、あれあれ?

ブシューッ!と
泡が水の底から出てきました。

「ただいまから、
 2メートル30センチ
 水位が上昇いたします」
上のほうから、女性の声でアナウンス
が始まりました。




そう、出て来たのは泡ではなくて、水。

エレベーターの中で、
どんどん水かさが増している
んですね。


その勢いたるや、すごい!


たった一隻しかいないのに、
そんなに水を贅沢に使ってしまって
いいの?と心配になりましたが、
水道水ではないので、
無駄ではないそう。


今は多くても3隻くらいのようですが、
昭和初期までは、この閘門の間に
木の舟を含むたくさんの船が
ギュウギュウ詰めだったそうです。


前方も
見てみましょう。




ブシュー。
おおお!





みるみる増していきます。






ああ、黒い部分が
もうあんなに短くなりました。


そして、前方の川と同じ高さに
達すると…







ザーッと、水を落としながら
また前扉が開き始めます。


このとき、
扉から落ちてくる水には
扉を洗うために
水道水が使われているそう。


なぜなら、
閘門には何千万円もする扉を
使用しているので、
海水を含んだ川の水で錆びさせては
いけないからなんだって。


そんなわけで、
閘門の水の下を通る舟も、
一瞬、
水のカーテンを
くぐることになります。

滴る水音に
「きゃあー」と歓声をあげながら
出た先の川がこちら。


いきなり、両岸が低いですね。



閘門をくぐる前の川岸は
こんな感じ↓
いかに岸が低くなったか
おわかりでしょう。






かつて明治から高度成長期にかけて
この辺りでは、
盛んに天然ガスの採掘などが行われ、
地盤沈下が起こってしまったそうです。


なのでこの近辺は、
水位より川岸のほうが低い。

防災のために、水門や閘門が
大活躍してくれるというわけですね。


どうやら、
日本中の都市と川には、
みんなこうした水門や閘門があって、
人知れず、
私たちの暮らしを守ってくれて
いるようです。


閘門さま、長きのお勤め
ありがとうございました。

今は静かにお眠りください 




「寝るには最適の館だニャ〜」




JUGEMテーマ:東京散歩
日本橋〜深川舟めぐりへ










日本橋から、
また、お舟に乗りました。


全部で6つコースがあるうち、
今回で4つめのコースです。


なぜ、そんなにも
川舟に乗りたがるのか…
ですって?


モチロン、
東京をもっと深く知りたいから
なのですが、


知れば知るほど、
さらに知りたいことや謎が増え、
掴みきれない何かが残るのです。

これぞ探求の原動力、
たまりません












日本橋川_1.JPG
八丁堀、
亀島川の川岸を通って…




隅田川へ出ました。
日本橋川_2.JPG






すみだがわ3.JPG
わお美しきかな


今回のコースでは、
さらにそこから、







あの水門(大島川水門)
をくぐりまして





深川_1.JPG
深川方面へと
連れていっていただきます



ここで江戸東京博物館にある、
東京の地盤地形図を
ご覧ください。
はい、出ました!
またこの地形図です

好きですねえ、私も


願わくば、家にひとつ
欲しいところデス



この模型図の、隅田川の川すじを
よくご覧ください。
線のようにえぐれておりますね。


そしてさらに、
まん中を堂々と走る
濃い青色にご注目ください!


この青は、深いところまで
砂が多くなっている地盤を
示しています。


つまり、太古の昔、
ここは大きな川の河口
だったと言うわけです。


縄文時代の前期、
ここは「奥東京湾」と呼ばれる
入り江でした。



もちろん江戸時代の頃には、
すでに砂がたまって、
平らかな湿地帯となっており、

徳川将軍はそれを海に向かって
さらにどんどん埋め立て、
水路の入り組んだ下町を
南へ南へと広げてゆきました。

(平久川)



(仙台堀川)


(水位ぎりぎりの茂森橋)



(木場公園大橋)

そう、だからなんですね、
川がまっすぐで人工的。

川というより、これは、
埋め立て地に作られた
「水路」なのです。


舟ガイドさんに解説していただき、
私も最近になって初めて
知ったのですが、

家康の頃は、なんと
小名木川のすぐ下は、もう
海だったそうです。


国土地理院の地図にざっくりと
書いてみました。

江東区を横一文字にまっすぐ
流れている赤い線が、
小名木川です。

当時は
ディズニーランドで有名な
浦安市などはまだ影も形も無く、
江東区もほとんど
無かったということになります。

ところが、
江戸時代から現代にかけて、
どんどん埋め立てが進み、
江東区は今も少しずつ面積を
広げ続けているんですね。

現在進行形!


そして、
鬼平犯科帳のあの平蔵さんは、
埋め立て地に住んでいた
江戸っ子だったということに
なるワケです


横十間川_2.JPG
(大横川)
ほんとにまっすぐ!


(ここらへん、
 鬼平さんのご近所辺り)


どこまでもまっすぐ!

この十字路で左に折れて、
小名木川のほうへ。


もやい綱をつなぐ柱が
たくさん残っています。


ちなみに、
小名木川は、千葉県から
「塩」を運ぶために作られた川。

なんと、江戸幕府を開くより前に、
徳川家康が真っ先に着手した
と言われています。

当時はそれほど、塩が大事なもの
だったんですね。


潮の干満に関わらず、
舟を通行させるため、
橋はたった2つしか架ける事が
許されなかったとか。


中川舟番所資料館にあった
明治42年の絵によると
明治の頃はまだ
こんなに川舟がぎっしりで大賑わい。
江戸の面影がそのまま
残っていたそうですよ。




別の日に橋の上から撮った
今の小名木川。

今はなんとも静かです…




小名木川のコシラサギ.JPG
お!
コシラサギがつんと
すましてお出迎え。



水門(新小名木川水門)をくぐって
また隅田川へ出ます。




すみだがわ.JPG
出た!




















すみだがわ_2.JPG
前にそびえるは石川島、月島。
こちらも、もとは
小さなかけらのような島だったとは
とても思えないですよね。

ウォーターフロント開発地区で、
今年一番地価が上がった地区だと
最近ニュースで見たばかりです。



舟から見上げる風景は、
このように、
どこをとっても違う風景が
広がっていて、
飽きることがありません。


皆さんも、
日本橋発着クルーズの舟で
今までより一歩深い東京観光、
してみませんか?


ただいま〜


JUGEMテーマ:東京散歩
 
東京タワーは巨大な…?
増上寺.JPG
東京で有名なお寺と言えば、
まず真っ先に上がるのが
浅草の「浅草寺」だと思いますが…


徳川家ゆかりの「増上寺」にも、
ぜひとも足を運んでいただきたい


ということで、今日は
増上寺ツアーにご案内します

増上寺を
おすすめする理由は三つです。

その1)まず、何と言っても「広い」!

さすが、徳川家墓所を抱える
由緒正しいお寺。
丁寧に掃き清められた境内は
とても美しく、
歩くだけで、気持ちが
ゆったり、のびのびしてきます。



おすすめの理由
その2)徳川将軍家ゆかりの寺
      =どことなく「雅やか」

増上寺_1.JPG
手水舎もなんとなく
いい味出てるでしょう?



ちなみに
先ほどくぐった赤門は
「中門」でして、



では、「表門」はどこにあるのかと
言うと…
アレなんですね、喧噪の向こう。


この二段の門構えが、
東京ではもはや、とても珍しいのです。


ちなみに、「大門」の外側は
穢れた現世と言われており、

あの「大門」をくぐったときから
だんだんと垢が落ち、


さらに先ほどのこの「解脱門」
をくぐることで、
煩悩から解脱!



階段を登って
阿弥陀さまのもとへ向かうと
増上寺_5.JPG
極楽浄土に至る!

…という、
大変わかりやすい道のりに
なっています。




増上寺_3.JPG

写真にするとわかりにくいのですが、
大梵鐘も、
他のお寺では見たことのない
見事な大きさです。
将軍家の権勢を感じます。

高さは3メートル、重さ15トンで
東日本では最大級だそう。

4代将軍の奥方さまのかんざしまで
使って鋳造されたんですよ。




つづいて、徳川家墓所へ。

増上寺_10.JPG

残念ながら、開門されるのは
土日祝日のみで、今日のところは
中をお見せできません。


拝観は10時から16時まで、
記念品つき500円ですので
皆さん、訪問される際はぜひ、土日祝を
ねらってくださいマセ。


でもね、すごかったんですよ、
ここだけオーブが…

増上寺_14.JPG

見えますか?
たくさん出てました。
やっぱり、守られているのかな。



増上寺_7.JPG


ところで、
このお寺をおすすめする理由。

最後の一つを
まだお伝えしていませんでしたね。

…ということで
三つ目の理由、
それは


「東京アースダイバーを
 実感できる
ということです




一頃前のベストセラー本ですが、
東京の地層に、
深くダイビングすると
いろいろな風景が見えてくる…という
地層好き、歴史好きのハートを
ぎゅうっと掴む内容となっております



私は、今回、あらためて
増上寺を訪れることで
再認識したことがあります。

それは、東京タワーは、実は
東京の巨大な墓標だったのだ!
という発見。

こうした言葉を、中沢新一先生も
言っておられるかどうかは、
もう覚えていませんが、
そう思わずにはいられなかった。


だって
増上寺の解脱門から見ても…
増上寺.JPG


徳川家墓所の
御門から見ても…
増上寺_6.JPG



水子地蔵さんの
向こうにも…

どこを見ても、まっすぐ
天に向かって、東京タワーが
そびえ立つ不思議。


もちろん、東京タワーが
建てられたのは、
増上寺ができたずっとあとの
ことです。

でも大昔、この地は岬の突端で、
縄文貝塚や古墳(前方後円墳)が
発見されています。

つまり、ここはずっと昔から、
死者のための祭礼の場、
神聖な場所だったんですね。


もともと海にも近くて眺めの
いい場所でもあり、
足場の固い台地ですから、
自然と東京タワーの建造地に
選ばれる条件も備えていたということに
なりますが、

それにしたって、
ちょっと異様なほど、
「美しき墓標」として、この地に
マッチしている気がする。


増上寺_19.JPG


「死」に深くまつわる場所には
歴史と人生…つまり人の生きた証が
ぎっしりつまっている。

なんだか、いちだんと
東京タワーが好きになってしまった
私がいます。



最後に余談です。


ここらへんに昔、
「芝のゴルフ場」「芝のプール」
と呼んでいた場所があって、
子どもの頃、よく家族で遊びに
来ていたんですよ。


父、兄、母と遊んだ思い出が
いっぱいあるはずなのに、
場所がどこだったか、
どうしても思い出せない。


確か、仁王門と言われる
古い木造の門があって…

一日遊んで楽しく過ごすためには
その門をどうしても
通らなくちゃいけなくて、


ちびっちゃうほど
怖かったんだけど、


その門、どこにあるんだろう?

増上寺_15.JPG
(二天門)

ここか?
うん、感じた怖さは似てる。

でも、こんなに豪華な感じじゃ
なかったなあ。


増上寺_16.JPG
(黒門)

ここかしら?
でも、仁王像、無いし…


あれ?

仁王門.jpg
(惣門)


増上寺_17.JPG


増上寺_18.JPG

ここ?


こんなにキレイな門、
こんなに色鮮やかな像
だったっけ…


たぶん、赤く塗り直して
お化粧直しされたのでしょうね。
もう全然怖くなくなっていました。
(ちょびっと残念…



皆さんも、
浅草寺に飽きたら、増上寺
ぜひぜひ、訪れてみてください。

言葉では言い尽くせない何かを
体感できる、不思議かつ
神聖な場所ですよ。


JUGEMテーマ:東京散歩
お江戸 川めぐり♪
隅田川.JPG
隅田川を堂々とゆく観光船…


調べたら、船の名前は
その名も「道灌」 


渋い〜!そして、さすが!

(注:太田道灌は、江戸の開祖)


でも…船のイメージは
アルカポネの時代のアメリカ
なんだって


ちなみに、「竜馬」という
船もありましたヨ。


ところで先日、月島の佃大橋から
撮った写真ルポをUPしましたが

そのとき「ホタルナ」という
平べったい船の写真を
載せましたよね。

その「ホタルナ」が、何故あんなに
平べったかったのか、
その謎が解けましたので、
ご紹介します!


隅田川_2.JPG
永代橋。


昔、赤穂浪士が討ち入りのあとに
渡った橋。

ほかにも、
富岡八幡宮の祭礼の見物客が
あまりにも沢山押し寄せて、
橋が落ちてしまい、
多数の江戸っ子が亡くなった
という歴史的事件もかかえた
いわくつきの橋です。


夜はライトアップされて、すごく
キレイなんですよ!


この橋の下を…


隅田川_3.JPG
あっ!




隅田川_4.JPG
ああああ!



隅田川_5.JPG
おおおお!



隅田川_6.JPG
うおっ!?



隅田川_7.JPG
ほ〜っ…
なんとか無事通過!?



隅田川_8.JPG
行ってらっしゃ〜い!


…と言っている間に、
自分の船も橋の下に
入りました。

そうなんです。
今、私は、川舟に乗っております。


先ほどの船は、
雨や潮の影響で
水が増量しても、ギリギリ
通れるように、あの高さに
設計されたんだとか…


このように、東京には、今、
隅田川や、
日本橋川や、神田川…etc
川を船でめぐるコースが、
それはそれは沢山あるんですね。


中でも、日本橋を発着する
船のコースは、
東京に少し詳しくなってきた方に
おすすめです。


お値段も、船の大きさも
いろいろ違うのですが、
私のおすすめは、断然コチラ


昔、江戸っ子庶民が乗ったという、
「ちょき舟」にも似た、
こんなかわいいお舟で、
江戸の川をめぐります。
川舟.jpg
音のしない、静かな
電気ボートだそうです。
(最大積載人数10名)


日本橋.JPG
舟の発着所



日本橋_2.JPG

小舟の分、
大きな隅田川などに出ると
揺れやすいけれども、
船頭さんや、ガイドさんの
説明がとても楽しく、詳しくて、
一気にお江戸通になれること、
間違いなしですよ!
(大人気のコースなので、
 1ヶ月前にはご予約を)



ところで、何故、今になって
こんなにも
「江戸=川」のキーワードが
注目されるのかと言いますと、

日本橋地区の再開発とともに、

かつて、東京が、
イタリアのベニスのような
美しい水運都市だったことが
徐々に思い出されているから
ではないかと思います。



よく、テレビで、エジプトの
ナイル川の両側が、
でーんと開けていて、
ところどころに葦が生えている風景
をやっていますよね。
(「パピルス」という紙も葦から
  できています)


江戸時代の前の東京は、まさに
あんな感じだったんじゃないかと
私はよく想像しています。


見渡す限り、
葦野原の湿地帯で、
歩くと、グチャグチャ、
ベチョベチョ、
フワフワ、ブヨブヨとして
安定感のない土地…


湿地帯では、人はなかなか
暮らせません。
だから秀吉は、江戸をほいっと
家康にくれてやったわけです。


ところが徳川家康は、
「頭脳の人」です。


昔は、物資や
大きな材木などを運ぶのは、
「船と舟だけが唯一の輸送手段」
でしたから、
もし、水さえ味方につけられれば、
水運が栄え、大都市になる可能性が
ある!


そこで家康は、まず、
地盤固めと、川の整備から
江戸の町づくりを着手しました。



昔は、ちょうど今の
白山通りのあたりに
(白山〜水道橋駅〜神保町〜気象庁〜日比谷)
平川という川が流れていましたが、
そこを埋め立て、

(この高架下の道路が白山通り。
 そのまま川筋だったと
 考えると、イメージしやすい)



同時に、
JR御茶の水駅のような高台
(神田山)を、
深く深く切り開いて、
まっすぐに隅田川まで続く川筋を
作りました。
御茶の水.JPG
(JR御茶の水駅と神田川)




神田川.JPG
橋の下から見上げた風景。

こんなに高い山を
家康は、まず一番に
切り開いたんですね。


強引にも見えるやり方ですが、
これでやっと江戸に住む人を、
水害から守り、
大都市に発展させる基礎が
できたわけです。



神田川_1.JPG
美しい川べり




神田川_2.JPG
下から見上げた聖橋



神田川_3.JPG
前方に見えてきた低い橋は、
丸ノ内線の線路です。

ここだけ、なんか、
ディズニーランドの
ジャングルクルーズみたいね





夜の一石橋.jpg
夜の一石橋。
(東京駅の八重洲口に近い橋。
昼間の舟巡りコースでは
もちろん、この下もくぐります)

こうして、家康によって
整備された、
美しい水運都市…


でも、今、
その水路(川)のうえには
ほぼセットで、
高速道路がついてきます。

日本橋川.JPG




日本橋川_1.JPG

無粋なことをするよなあ…
と思う一方で、


現代っこの私からすると、
「現代」と、「江戸」が交錯する
この風景は、時空の重なりを
表現しているようで、

それはそれで、
時代のアートのようにも思えて、
ミョ〜にツボなんですよね…




他日、
舟めぐりをしたコースを
橋や川岸から眺めて歩きました。
神田橋_.JPG
神田橋



反対側を見ると…
高速の入り口に
なっています。

ここも時空の重なりを感じる場所。


錦橋
錦橋_5.JPG
向こう岸に見える石垣は、
江戸城の石垣そのままです。


一ツ橋
一ツ橋.JPG
最後の将軍、一橋慶喜のお屋敷が
この近くにありました。


一ツ橋_1.JPG
毎日新聞社の
裏側の江戸城石垣。


今はひっそり
眠っているみたい…



雉子橋御門あと。
一ツ橋_2.JPG
ここは、
中学のときの通学路で
本当に何も考えずに
前を素通りしていました。


今は抱きつくようにして
駆け寄り、
なめるように観察します。

…ええ、かなりアヤシイ人です



一ツ橋_3.JPG
刻印萌え〜



おっと
ちょっとマニアックになり
過ぎる前に、
出発地点へ戻りますか。




日本橋、
帰りはせっかくだから
甘味屋さんにでも
寄っていきましょ

日本橋発着の川下りコース、
おすすめです
古地図と、現代の地図を
重ね合わせた
江戸時代ファン垂涎の地図も
もれなくついてきますよ。
(舟内の撮影は一応許可を
 もらってくださいね!
 フラッシュ無しで
 他のお客さまは映り込まない
 よう、ご配慮ください)



JUGEMテーマ:東京散歩
古き良き時代の四谷
明治30年代の鐵道.jpg
明治30年代に撮影された
江戸城外堀の風景。


現在、この角度から
見た風景が、どんな風に
なっているかと言うと

現代.jpg
四谷駅になっています。


明治27年。

江戸城の外堀の土手を削り、
その斜面に通したのが、
甲武鉄道だそうです。
(同じ写真をもう一度…)
明治30年代の鐵道.jpg
蒸気機関車の煙、いいですね〜!

上のほうに生えている、
松並木の土手。

あの土手は、現代では、
村上春樹著『ノルウェイの森』で、
直子と僕が歩いた道です。

現代.jpg




四谷門説明.jpg


この撮影地点を、別の角度で、
遠くから見たのがこちら。




川岸の向こうが、
平屋ばかりなのがおわかりですか?

撮影は明治年ですから、
あの平屋はまさに江戸時代のもの!

ああ、タイムスリップ
いくら見ていても飽きません



江戸城の遺構、四谷門を曲がって、



土手のほうに行ってみましょう。


お堀端.jpg
『ノルウェイの…』の土手は
こんな風に広がっています。
(緑道の中は、
 歩けるようになっています)



ところで
四谷というのは
面白い所です。

快速や特快も止まるし、
地下鉄も何線か乗り入れている
けっこう大きな駅なのだけど、

上智大学や、四谷雙葉、
学習院初等科などの
学校があるだけで、
ほかに大きな目玉は
コレと言ってなく、

意外に地味な場所とも
言えます。
(迎賓館はありますが、
 一般人には年に数回しか
 公開されていない)


でも、
そんな所がいいのか、
この近辺には
昔、たくさんの文学者が
住んでいました。

与謝野鉄幹&晶子夫妻、
島崎藤村、有島武郎、
泉鏡花、樋口一葉etc…


「文人通り」なんていうのも
あるくらいです。

そのなかの一人に、
夏目漱石の門下生で、

キツネやタヌキ、
ウナギにカラス、
化け物や魑魅魍魎が、
イキイキと跋扈する、
不思議でユーモラスな東京風景などを
描いた内田百間先生がいます。
(間…正しい漢字は門構えの中が月。
 以降、当て字)



丸いメガネに仏頂面。

頑固で偏屈、無愛想。
編集者を居留守で
待たせるのは日常茶飯事。

度重なる借金さえも「錬金術」と
言ってのけ、
変わり者で有名だった百間先生
ですが、晩年は、
迷い込んできた野良猫を愛し、
「ノラや」などの有名な随筆を
残しました。


その百間先生が住んでいたのが
まさに土手の近くの、この辺り
なんですね。


ノラや…2.jpg




ノラや…5.jpg

百間先生が愛した「ノラ」は、
ある日、ふいっと姿を消してしまい、
二度と戻ってきませんでした。


悲しくて、悲しくて、
夫婦で落胆の日々を送り、

葉陰が揺れたと思っては
その下にノラの姿を探し、

風に乗って、
声が聞こえたような気がしては、
狂ったように探し廻ったと言います。



ノラヤ…4.jpg



ノラ、いないかな…?



ノラや…




ノラや…6.jpg



ノラや…




猫道.jpg

ああ、ノラや…




ノラがいなくなったのは、まだ
木造家屋が立ち並んでいた時代です。


でも、今もそこいら中に、
ノラがいそうな気配。


そして、
突然ノラがいなくなったときの
百間先生の悲しみが、
この辺りの空気にはまだ、
色濃く残っているような
気がします。



文豪ならではの、
研ぎすまされた小説もいいけど、
ほっこり人間臭さを感じる随筆も、
やっぱり、いいものですね。


作家ならば、小説と随筆、
両方とも書き残してほしいなあ。

それは、
言葉を生業にする人の、
大事な使命のような気がする。





自分では
「こんな小っぽけなこと…
 書いて誰が喜ぶんだろう?」と
思うような、
小さなエピソードにこそ、
宝は、たくさん眠っている
ものなのかもしれませんね。


JUGEMテーマ:東京散歩

おすすめ♪皇居一周スカイバス
 


ずーっと気になっていたんですよね、
皇居を一周する、
2階建てのスカイバス


50分で一周、大人1800円。
子ども700円。



全員、2階への乗車が原則で、
途中下車はなし。
一緒に乗車してくれる
バスガイドさんの説明付きで、
楽しく東京見物ができます♪


発着所.jpg

乗車口。
バスの後ろに写っているのが
KITTEのビルです。
東京駅丸ノ内口からすぐの
「三菱ビル」(丸ビルの隣のビル)
の一階に、チケットカウンター
があります。




二階へ.jpg

ワクワクしながら、
2階へ。





2階席は
こんな感じになっています。





東京駅を右手に見ながら
出発進行!


最初に結論を言ってしまいますと、
東京と皇居を、こよなく愛する私
から見ても、
このスカイバスのコースは、
とってもおすすめ


東京駅→皇居→国会議事堂→
官公庁街→数寄屋橋交差点→
銀座四丁目→丸ノ内と、
いわゆる「ベタ」で
おいしい所を、余す所なく
廻ってくれます


天井なし.jpg

皇居


半蔵門と桜田濠
(この一枚は別の日に
 地上から撮影)


国会議事堂.jpg

国会議事堂


珍しい風景も.jpg

国会近くでは、なぜか
外国人の皆さんが
集団サイクリング中でした。
(これはちょっと珍しい
 風景かも)




スカイバス.jpg


この日は、ちょうど
オバマさんが来日していて、
官公庁街には、2つの国旗が
仲良くハタハタと…


官公庁街。



信号もすぐそこ.jpg

2階建てなので
街路樹の葉っぱにも信号にも
すぐに手が届きそうです!


そして楽しいのが、この…
橋桁ギリギリ.jpg
何度かくぐる橋桁。
JR線路の真下です。


結構、
バスギリギリの高さなので、
アトラクションに乗っている
ノリで、ちょっとしたスリルが
味わえます。

アトラクションのノリ.jpg

バスガイドさんも、ここぞと
ばかりに盛り上げてくれますヨ



数寄屋橋交差点へ。

オバマさんと安倍さんが
スシ外交したお寿司屋さんの
すぐそばです。

ちなみに、
オバマさんのために早々と
交通規制が始まっていたので、
既に渋滞中でした。

おかげで、長いこと
数寄屋橋・銀座近辺を
高い位置から堪能できました。
エルメスビル.jpg


数寄屋橋の近くの
エルメスビルの屋上の騎士。


ここは知らないと、
見逃しがちな所ですが、
バスガイドさんは、
しっかり逃さず解説
さ・す・が!


騎士が掲げているのは
エルメスの新作スカーフで、
新作が出るたびに、
人の手によってわざわざ
掛け替えられているんですって。


エルメスビル2.jpg

この角度からも撮影。
(トカゲみたい!?)




銀座へ.jpg

晴海通り。




銀座四丁目.jpg

銀座4丁目交差点で曲がって…





パレード.jpg

2階から見下ろす銀座大通り、
普段、経験したことのない
優越感デス。





京橋付近の鯉のぼり。


もう一度、皇居外苑に出て…


皇居外苑.jpg

お堀端へ…

見慣れたお堀.jpg






明治生命ビル.jpg

見えてきた
明治保田生命ビルの、
美しい彫刻にご注目。


ちなみにここは、かつて
GHQの本拠地として使われた場所
でした。


あれから何年経ったのか…。
今はオバマさんが、
わざわざ日本のために
日米安保を語る時代ですね。



そしてバスは丸ノ内に
戻ってきました。





とうちゃこ〜♪

お疲れさまでした!


ふう…
ただ座っていただけなのに、
結構、体力を使った感じです

お見送り.jpg

スタッフの皆さんが、最後まで
お見送りしてくださいました。


ちなみに、スカイバスは、
小雨くらいなら、
天候に関わらず
運行されるようです。

その場合、傘の使用は厳禁で、
配られる雨合羽を着用するそう。


私が乗った日は、
銀座の四丁目ビルの
温度計で気温「19度」。

普通に歩いていれば、
汗ばむくらいの
ポカポカ陽気だったのですが、
やはりスカイバスは、
天井が無いせいか
最初のうちは風が気持ち良くても、
20分を過ぎたあたりから、
ゾクッと寒くなってきて、
脱いでいた上着を着直しました。

また、まぶしかったので、
最初から最後まで
サングラスもずっと着用していました。

寒さ、暑さ、UV対策は、
しっかりしてから
乗車されることをおすすめします


あとトイレと自動販売機は
バスには無いので、
事前に、駅で飲み物の購入とトイレも
済ませておきましょう


ちなみに、他にも、
バスガイドさんの説明や、
写真に撮らなかった場所で
面白い所、
ツボだった所がいくつか
あったのですが…

ここでそれを
私が語ってしまうのは
野暮というもの(=^.^)フフフ。

皆さん、ぜひ、実際に乗車して
楽しんでみてくださいね♪


チケットは事前に購入。
10時〜18時まで、
発車は1時間に1本で、
00分発です。




JUGEMテーマ:東京散歩

※次回はこちら、
「宮畑ミステリー大賞」について
お伝えします↓