こんにちは。絵と文のイラストレーター、「さくらみ(さくらみゆき)」です。
こちらでは、イラスト制作風景や、日常の中のやさしい時間、
心躍るひとときを、イラストでお伝えしていきます。
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まさかのセール







でも、店内のようすが
どうも
いつもと違うのです。


商品がほとんどなくて、
かろうじて残っている商品には
セールの値札がついている。 


よく見ると、




「完全!?」




「閉店」!? 








「完全閉店セールゥ」?!




えええ〜っっっ!!!

つい最近まで、
近所には2つも3つも
オフォスデポがあって、


中でもここ市ヶ谷店が一番流行っていたのに…



まさか閉店とは思ってもみませんでした。


当然、閉店セールの店内には
お目当てのインクは残ってません。



そこで、この近所で別のオフィスデポに
行こうと決意し、聞いてみますと…









ごっ 




ごたんだ…












ありえな〜い(T▽T)





いやあ〜、びっくりしました。


そうですかー、そうですかー。


オフィスデポさん、
ほぼ一斉に閉店ですかー。。。



たくさん店舗があったときは、
「?? 何でこんなにいっぱい?」
と思っていたんですけど、



無くなってしまうとは。。。




無くして初めて知る、
ありがたみです。





思えば、昔
ニューヨークに住んでいたときも、



街角にはオフィスデポが
いっぱいあって、
いつも大変お世話になっていたもんです。




やっぱり不況ってことなのかなあ。。。


ひょっとして、
世界中で店舗縮小なのかなあ。。。



特にアメリカでは、やっぱり特に
影響が大きいのかも
しれないなあ。。。



いろんなことを考えてしまいました。



こうなると、
町の文房具屋さんって、やっぱり強いですね〜。


ものすごく安く売ってくれるわけでは
ないんだけども、


そしてお店もとっても小さいんだけども、


時代が変化しても、変わらず
そこにいてくれる。



ありがたいことですだ〜(T▽T)ノ





そうでなくとも、
ふだんから格別にお世話になっている
文房具さんたち。


大切に使いましょ。




ちなみに、オフィスデポさんも、
ネット販売は継続されてますヨ(^0^)




JUGEMテーマ:ビジネス
そういえば、寺田屋かいぎ(1)
あまりにも何かが楽しすぎると、
その後、けっこう後遺症に悩まされるものデス。


私にとって、今回の京都での寺田屋かいぎは、
その前泊の旅程ふくめて、
後遺症に悩まされるくらい、
楽しかったなあ。。。


ところで、この舞子はんたちを見て、
後ろのほうでささやき声が…


「あれは、本物? それとも偽物?」


「偽物」とは、最近、旅行者が
「にわか舞子はん」
になれるツアーなどがあるためです。


歩き方を見ると、なんとなくわかりますね。



でも、このドキッとする色遣い、
風流なもんです。



同じ時代でも、幕末の頃ならお江戸では、
黒や紫や濃紺など、
渋い着物が粋とされていました。

どっちも色っぽいけど、
私はやっぱり、あでやかな京風が好み(●^^)



さあ、はんなりしたところで、
京都の写真から、傑作選をお届けしましょう。


嵯峨野

嵯峨野の竹やぶです。


   気持ちよかったな〜。。。


私は京都に行くときは、嵯峨野と東山だけは
必ず行くことにしています。






この日の朝も、あまり時間がないことを承知で、 
あみちゃんと二人
嵯峨野をのんびり歩いていたもんだから…



さっそく待ち合わせに遅れまして(^^;)



主催者のeasyちゃんに連絡すると、
「では最初の目的地である
 金戒光明寺に、直接来てくださ〜い」
とのこと。



「は〜〜〜い!」



団体旅行のしょっぱなの待ち合わせに遅れるなんて、
なんてヒドいの、私たち☆





さて、無事に「黒谷さん」こと、
「金戒光明寺」に着きまして、
二人で石段に腰掛けて、
みなさんの到着を待っていますと、



駐車場のほうから、変な格好をした人たちが
歩いてくるのが見えました。





「うわっ 何〜? あの人たち、目立つね」


「なんか…こっち見てるよ。。。

 いや、あれだけ目立つ格好していると
 『みんな、オレのほう見てる?』
 みたいな気持ちにもなるんだろうね…」


「やだ、あの人たち、こっち来たよ」


「え? なに?なに?なに〜!?!?」


ビビリまくりの私たちの前に、


もじゃもじゃ頭に帽子をかぶった人が
飛びついて来たかと思うと、
私たちのほっぺを舐めるように
撫で回したのでした。




そのとき、
かすかに思い出しました。


「ああ…
 
 これは、誰だかわかんないけど、
 私たちのよく知ってる人だよ」


そういえば、
前に立っているタイガーマスクの人は、
その唇が、いやに形の良い「にっこり型」で、
すごーーーーく見慣れた感じがする。


「みんな着いたら、驚かすから、黙っといてください」



彼らはそう言い残すと、スタスタと向こうへ
去っていきました。


あ〜、ビックリした!







さて、その後、
しばらくして、
向こうのほうから、
馴染みの面々がわらわらとこっちにやってくるのが
見えました。


きっと、先ほどの変な人たちの作戦も
うまくいったのでしょう。


みんな、すでに酔っぱらった顔をして、
わははっという感じの笑みを浮かべています。


「来たー!」



しばし、邂逅を喜びあう私たち。

これで本格的に
「寺田屋かいぎ」の始まりですo(^^)o



まず石段の前で
京都に詳しい、中井隆栄さんのお話を伺いました。



みんなのマジメな顔☆




金戒光明寺さんへの石段を登り、
お参りします。




ここは、法然上人が
草庵をいとなんだゆかりの地。
浄土真宗発祥の地だそうです。


さて、お参りのあと、
墓地をどんどん上のほうまで登っていくと、
そこには、
なんと「会津藩士」たちの
お墓がありました。



じつは、主催者のeasyちゃんは、
今回「京都寺田屋かいぎ」を
「京都の幕末史にふれる旅」として
旅程を組んでくれたのですが、


最初に、まず、このお墓にみんなで
来て黙祷を捧げたかったのだそうです。



ここでざっと歴史をおさらいしましょう。



黒船来航から始まった怒濤の幕末期。


最初のうちは、もちろん幕府側が有利でしたが、
いつしか、薩長が勢力を伸ばし、まさかの倒幕へ
時代は動いていきました。


それは、何人かの日本人が、
列強の諸外国がアジアの国々を次々に植民地化
していく様を見て、
「このままではわが国も危ない!」
と危機感を募らせたのが始まりです。



とはいえ、最初はどの藩もコワいもの知らずで
「外国船なんてカンタンに打ち払ってやる!」
とせせら笑っていたのです。



ところが、
実際に海戦をしてみたところ、
あまりの自分たちの弱さに気づいて、はじめて
愕然とするのですね。


「これはいけない。目を覚まさねば!

 このまま
 外国の言いなりになっている幕府に
 すべてを任せていては、
 日本は、外国の傀儡(かいらい)政権となり、
 民は奴隷となってしまう」



300年続いた幕府の屋台骨。



どうやら、一度壊して、
ゼロから作り直さぬことには
新しい日本の未来は望めない。。。


そう感じた人々が密かに手を組み、
じょじょに倒幕へと時代は動いていくのです。



たくさんの戦いがあり、
何人もの志士たちが、命を落としました。


会津藩は、そんな中で、
最初から最後まで幕府側についた藩でした。


会津藩主松平容保は、
「京都守護職」という重要な役割を
幕府から命ぜられ、
「新撰組」をおかかえにして、
幕府にたてつく志士たちから、
幕府と御所を守ろうとします。

じつはこの時期、
「『京都守護職』を引き受けるなんて
 薪を背負って火を防ぐようなものではないか」
と家老は最初、藩主に反対したのだそうです。


けれど藩主の決意は固く、それを見て
「ならばわれらも、京都を死に場所と
 こころえようではないか!」
と家臣たちも腹をくくりました。


ここ、金戒光明寺は、
その「京都守護職」会津藩の「本陣」
となったお寺です。


ここに会津藩士のお墓は
374霊余、祀られているそうです。


会津藩士は、仏教ではなく、
神道の人が多かったため、
その7割は神霊なんだとか。



ふるさとに帰ることもかなわぬまま、
おのれの志を全うするために
京都で命を落とした会津藩士たち。


「結果的に見たら、会津は負けたほうです。
 …でも、勝ち負けは関係なく、
 時代を作ってくれた人たちとして、僕は
 ここで眠る人たちに敬意を払いたい」



そう、easyちゃんは語ってくれました。


みんなでそっと黙祷を捧げます。


お墓は、小さく整然と並び、
緑に囲まれて、美しく苔むしていました。







さて、一行はここからバスに乗りまして…


(主催者easyちゃん↑)


お昼ご飯の会場へと向かいます♪



おおっ! 高瀬川だ〜!


この川は、もう少し南に行くと、
木屋町や祇園に通じていて、
夜はとっても艶っぽいんですヨ。






高瀬川と鴨川に挟まれた美しい料亭は


なぜ「がんこ」なのかな…?




ゆば、豆腐〜♪


うふふ♪ 京都、京都〜♪



ここですっかり満腹ののち、


先ほどの高瀬川で、
私たちは思いがけないものを
見ることになったのでした。




…が、写真を載せると、
京都の方に怒られそうなので、
念のためアップは控えましょ☆



今日は、ここまで♪
おやすみさない(^0^)



そういえば、寺田屋かいぎ(2)蛤御門


さて、続いて、
われわれ一行が向かったのは、蛤御門。

御所を守る西門のひとつです。


幕末ファンの私も
実際に「蛤御門」を見るのははじめて♪


この門をコースに入れてくれた主催者さんに
感謝だわ〜(^0^)




実際に門を見ての私の感想を
率直に言いますと…



「あれっ!? 弱そうな門だなあ」
と…(^^;)




だって、たとえば東京の皇居
(いわゆる旧江戸城)の門で、
皆さんがよく知っている
「武道館」に行く時に通る「田安門」
などと比べてみてください。



やっぱり、この構えは、
どう見ても武家の門じゃない。

公家の門ですよね、争いを前提としていない。。。


門の向こうは、今は御所に向かって
砂利がしきつめられた、広大なスペースに
なっていますが、


当時は、ここにびっしり、
天皇に仕えるお公家さんのお屋敷
が並んでいたようです。






ところで今回、バスガイドさんのお話で
はじめて知ったのですが、 


この蛤御門(はまぐりごもん)の名は
「天明の大火」という大火事で、
それまで「開かずの門」と言われていた門が
ぱかっと開いたようすがはまぐりのようだったことから
名付けられたものなんですって☆


(ここでも、中井隆栄さんの
 説明に聞き入る皆さん♪)



この「天明の大火」というのは、
今の暦で言う「おおみそか」の未明に燃え始め、
京都市中の家々はもちろん、
二条城の本丸や御所、
たくさんの寺社を焼き付くした大火事でした。



時代は、江戸後期11代将軍家斉のころのこと。

余談ですが、
この将軍は、正室含めて16人の妻とお妾さんがいて、
子どもの数は53人、
政治より遊びが好きで、豪遊したため、
江戸幕府に大きな借金を作らせたと言われています。


この借金が数年後、江戸幕府を弱らせる原因のひとつに
なりました。

こうやってみると、時代って見事なまでに
つながっていて面白いよね。



さて、この蛤御門が、再び世間の脚光を
浴びることになったのは、
それから約80年後の幕末期のこと。








門に残る、弾痕…らしきもの↑


これらは、幕末期の
「蛤御門の変」(禁門の変)でついた痕。


「蛤御門の変」は、幕末期の混乱を
如実に物語る事件でした。


始まりは
それまで政局の中心にいた長州藩が、
薩摩藩と会津藩の結託により、
まさかの京都追放となったことに
端を発しています。


それまで、
外国嫌いの「朝廷・公家」のために、
尊王攘夷論を掲げて、
命を賭けてきた長州藩が、
あるとき、急に「今すぐ京から出て行け!」
と言われたのです。


もちろん、長州藩士たちが、それを黙って
受け入れるはずはありません。


危険を承知で、京都に残り潜伏し、
ひそかに武器を集めてクーデターを計画します。


そのクーデターとは、
祇園祭の前の風の強い日に、御所に火を放ち、
その混乱に乗じて、
一橋慶喜(のちの徳川最後の将軍)
と会津藩主の松平容保を暗殺し、
孝明天皇を擁して、長州にご動座いただくという
仰天ものの計画。


が、当時、京都市中に密偵を放ち、
やっきになって居残った長州藩士を
見つけようとしていた新撰組が、
これを見逃すはずはない。


京都商人になりすまして、
こっそり武器を集めていた
「桝屋」古高俊太郎をひっとらえると、
彼らは彼をそれは厳しい拷問にかけたのです。


拷問に耐えかねた古高が、
ついに同士が会合を行う日時とその宿をもらすと、


新撰組は慎重に準備をして、
その宿を取り囲みました。


時刻は夜の22時。

これが、かの有名な「池田屋事変」です。


この夜の戦闘で
クーデターを計画していた
長州藩士や脱藩浪士の
多くが亡くなり、

一方の新撰組は、
この事件がもとで、
天下にその名をとどろかせ、
幕府や会津藩から褒章されるようになりました。


「納得がいかぬ! 
 こんなにも朝廷を愛し、
 働いてきた我々なのに…」


そう憤った長州藩士たちは、
ついに武力行使に出ます。

とはいえ、
薩摩藩と会津藩の大軍にひきかえ、
長州軍の無謀は明らかでした。



でも、それでも、
きっと…



蛤御門が見えたとき、彼らは
思ったに違いないのです。



「あと少しだ! 

 あともう少しで、御所ぞ!」


と。



(御所の内側から見た、蛤御門↑

 この石砂利のスペースの両脇には、当時は公家の
 お屋敷がありました)




作家司馬遼太郎は、
「竜馬がゆく」の中で、
長州藩のことをこんな風にたとえています。




あるところに、
「朝廷」という女性に
ぞっこん惚れ込んだ、
「長州」という男がいて、


最初のうちは良かったが、
その入れ込みようが、
あまりにも
深情けになってしまったために、


いつしかうるさがられ、
やがて怖がられるようになり、

ついには
疎んじられるようになってしまったのだ、と。



そうですね、
確かに当時のお公家さんや朝廷が、
争い事が好きであったとは到底思えません。


それどころか、
御所に火を放つ計画までして「会いたい!」
と迫られては、
迷惑このうえなかったことでしょう。



あれほど言いより、側にすり寄って、
必死で恋心を得たい!と願っていた
孝明天皇の命により、


長州藩は、この「蛤御門の変」以降、
「長州征伐」を受ける身へと変わるのでした。




(御所の塀↑
 蛤御門からまっすぐ歩いたところ)







しかし…



不思議だなあ。。。


不思議だよね。




だって、そこまで、
追われた長州が、


あれほど憎んでいた薩摩藩と手を組んで、


数年後には、再び、政治の中心に躍り出て、
「錦の御旗」を振るんだよ。



「まさか」×「まさか」×「まさか」…の向こうに、
本当の「まさか」が待っているのかもしれない。



そして、この「まさか」の奇跡を起こしたのは、


おそらく、
「情」や「勢い」だけでは動かなかった、
ほんの一部の人の存在と、


もう一つ…


長州藩士が、京都の民に、なぜか
愛されていたということが
大きいんじゃないかと
私は思うんです。


新撰組や、薩摩藩士は、
あれほどの手柄を立てながら、
京の民にはなぜか評判が悪く、


逆に、あれほど火事や暴動を起こしながら、
京にはなぜか「長州びいき」の人が多く、
ときには命を賭けて
長州藩士たちをかくまったといいます。


その理由は、京都にいた時期に、
長州藩士がお金をたくさん落としたから、とか、
長州藩士にイケメンが多かったから、とか、
いろんな説がありますが、


「好き」っていうのは、
不思議な感情ですね。

理屈で説明できることじゃない。


だけど、民意の「好き」っていうのは、
意外に大きな力を持つのかもしれないなあと思う。


京都の民に
「恐怖」ではなく「好き」と思わせた
「長州」という男、


「朝廷」さんにはそっぽ向かれたけど、
やっぱりいい男だったのかもしれませんね。



(つづく)

JUGEMテーマ:京都
そういえば、寺田屋かいぎ(3)御所から二条城へ
ところで、この御所の塀の中が
どうなっているのか


見たい方はいらっしゃいませんか(^0^)?
  


昔の日記から掘ってきました♪
   ↓
2005年11月16日のmixi日記から抜粋

(写真はパンフより↓)

さて私たちがくり出した先は、「京都御所」。
(現在の建物は 江戸の、黒船来航のあたり、
 安政1855年に 再建されたもの) 

ラッキーなことに、今年、
たった5日間しか公開されていないという、 
北側の御殿も含めて、見学することができました。 

以下、中の様子をかいつまんでご報告。 

  ●ちょうど蹴鞠中の皆さんが!
   上記の写真そのままの風景を見ることが
   できました。

  ●御所の「築地塀」の中を、ぐるりと囲む
   老い松の美しいこと!! 

     →肌のぼこぼこした柄が、とっても大きくて 
      味わいがあって、
      まさに歌舞伎の書き割りそのもの! 
      「ああ、歌舞伎の松って、想像で描いたんじゃ
       なくて、本物からデッサンを 
       採ったんだ〜」と目からウロコ。 
  

  ●御殿は、ミニ「ラストエンペラー」 

    →映画「ラストエンペラー」で、 
     まだおコちゃまの皇帝が 
     紫禁城の幕のまん中から飛び出して、 
     何万人もの家来がハハーっとひれ伏したシーンが 
     ありましたね? 

     私は
    「ああ、日本にもそれに似た場所があるんだなあ…」と 
     御所の中の「紫宸殿」という御殿を見て思いました。 


     御殿は
    「紫禁城」に日本風の「わびさび」を入れて、
     限り無〜〜〜く 規模を小さくしたような感じ。 

     ここは、「即位礼」を今でも行う場所だそうです。 
    (平成天皇は東京でしたそうです) 

     右側にはおひなさまでもおなじみの
    「右近の桜」左側には「左近のたちばな」が…。





 





  ●屏風やふすまの絵は、どれも見事〜! 

     入ってすぐ「諸大夫の間(参内した者の控えの間)」と 
     言うのがあり、
     「桜」と「鶴」と「虎」の絵があります。 


     位の低いほうから桜→鶴→虎 。
     でも、桜の絵も、とっても見事でした。 

     ほかにも、「え?こーんな場所にも!?」 
     という所にも絵が書いてあって、色も鮮やかに残って 
     いました。
      
  

その他にも、 広大な御所を見て感じたことは 

   「お庭が見事だから、いいけれど、 
    冬は寒かろうなあ…」 

   「電気がないから、暗かったろうなあ…」 

   「天皇と言っても人間だから、人間関係はいろいろと 
    たいへんなんだろうなあ…」などなど。 

  それにね、 


  ●天皇の御殿と皇后の御殿は、
   けっこう離れているのですよ!!! 

   昔は「通い婚」だったと言うけれど… 
          
   何かと大変だったろうな… 

といらぬ心配をしている私の横で、
おかっちくんが、 
彼女からメールをもらって、 
京都限定の「キティちゃん」ストラップをおねだりされ、 
なんとなーく嬉しそうにしています。。。 

    だめだめ。 
    …こんな大人の余計な考え事、
    まだ純なおかっち青年には、 
    だまっとこ(^^=) 

と思う私でありました★ 

心優しい青年おかっちは、 
ずーっとずーっと、傘を持って、 
雨から私を守ってくれました。ありがとね。 

















































紫宸殿↓(パンフより)







































































































(以上、2005年11月16日のmixi日記から抜粋)
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なるほど、こんな旅もあったなあ。。。



今から四年も前のこととは驚きです。
そのときも、
一緒に行った面々は読書普及協会の皆さん。
長いお付き合いで、ありがたいことです。




さて、今回の寺田屋かいぎ2009に戻りまして
御所を出発して向かったのは、二条城です。



あの、キュキュキュキュと、歩くたびに鳴る
「うぐいす張りの廊下」で有名な二条城ですね。


時代は、幕末より、ぐぐっと下がって、
あの徳川家康が建てたお城。


家康が、大阪城から豊臣秀吉の息子、
秀頼をこのお城に呼びつけて会見を行い、
その賢さを見て恐れを抱き
「これは滅ぼすしかあるまい」と
決意したというその城です。


当然…  


   古い!!


あと、やっぱり人に見せすぎたのかなぁ。
京都にはもっと古いお寺もたくさんありますが、
やはり、お寺ほどには
お手入れが行き届いていないようだった
というか、


あっちこっち壊れたり、
金銀の箔もくすんでいるようで、
世界遺産、心配になりました。




しかし思えば、私も
中学生の修学旅行から、何度この廊下を
歩いたことでしょう。


でも、今回「はじめて」
おおっ!!と思ったことがありました。


それは…







(図の説明:
 ありんこみたいに小さい黒い粒々が「人」
 の大きさです)



どう考えても…



将軍の前後に膨大な空間をとりすぎ。



将軍から老中まで離れ過ぎ! 


…ではありませんか? 



いや、実際には、7メートルとか、
8メートルくらいかもしれない。
10メートルはオーバーかもしれないけど、
ちょっとやそっとの離れ度合いでは
ありませんでした。




江戸時代後期の将軍は、

白米しか食べていなかったので
脚気の人が多く、
また甘いお菓子の食べ過ぎで
歯ももろく、



さらに、度重なる暗殺(毒殺)計画に
巻き込まれては
乗り越えてきた方たちだったので、


あまり健康に優れず、
背が低くて、ぼそぼそとしゃべる、
か弱い人が多かったようです。



そんな将軍が、このくらいの距離で、
もし何かをつぶやいたとしても…


  何も伝わらなかったんじゃないかしら!?



…というか、

基本的には
何もしゃべったりしないのが通例で、


勝手に老中が何かしゃべって


「これは将軍様の御意である!」


とか何とか言うと、


一同、「はは〜っっ!!」で、



それが通ってしまっていたんじゃないかな〜。




ちなみに、幕末に
「大政奉還」が行われたときは、
この席で、手書きの書状が配られて、
前のほうの大名から順ぐりに回し読みをし、


しかも、大政奉還を申し出た土佐藩や薩摩藩は
後ろのほうに座っていたものだから、
なかなか回ってこなくて
ひじょーにヤキモキしたが、


やっと回ってきた書状に、

「ここに政権を還し奉り」

の一文があるのを見て、一同、
「おおっっっ!!!」
と思った

…と司馬遼太郎さんは描いていましたね。



歴史上、これだけ重要なことを、
モレなく、間違いなく、伝えるためには
やはり書状ですよね、うん。



大事なことは書状にしましょ(^^)



さて、城を出てお庭へ。
お庭も広く、美しいです。













しかし、あまりにも広大すぎて
半分くらい来た所で
「もう、歩きたくな〜い!」
と思わず叫ぶ私。



もっとも、すでに、
行っても戻っても変わらないような場所まで
来てしまっていたため、
なんとか渋々、前へと歩き出しました。



さあ、歩け! 歩くのだ!!




ふう…


なかなかバスまでたどりつきませんでした☆



しかしねえ、

ここは世界遺産なんですよう!皆さん!


世界遺産なのに…


なんと、

ウエディングもできるんですよ!



平民庶民の私たちが、


世界遺産「二条城」
で結婚式ができる時代(^0^)


徳川家康が、もし聞いたら真っ青に!?




どなたか、ここでウエディングして、
私を招待してほし〜





きっとそのときも、



今回のように、アノ人たちが出没して、
あなたの門出を盛大にお祝いくれることでしょう!



ええ、必ず!!











あとで聞くと、本当は二条城のまわりを
バスがぐるりと一周するとき、


彼らは何事もなかったかのように
城の周りに、均等な距離で配備していて
一人一芸で、バスの中の私たちを
楽しませてくれる予定だったらしいです。


でも、間に合わなかったんだって☆


ほんとにようやるわ〜。。。









旅の盛り上げは、
アホに限る! 



ありがとう

最高にステキなアホ友の皆さん。


(つづく)



そういえば、寺田屋かいぎ(4)霊山護国神社
今日は最初に、
坂本竜馬さんの立ち姿をどうぞ(^0^)



竜馬さんのこととなると、私も
筆が止まりません☆


竜馬さんは京都に非常に縁が深く、
お墓があるのは、故郷の土佐ではなく、
京都です。




寺田屋かいぎ2009の二日目は、
この、竜馬の「京での足跡」
をたずねました。



まずは、竜馬さんのお墓がある霊山へ。




ところが、バスが駐車場に来ると…



お馬さんたちが、お歌を歌っているのでした。。。



   な〜〜〜♪ ぜ〜〜〜?♪



はい、また登場です、関西組。



朝から笑わせてもらったところで
霊山歴史館へ。





主催者のeasyちゃんは、気合いの入った
新撰組スタイル。



ここには、幕末史に関わった人たちの
遺品や書状、当時の風俗を描いた資料が
展示されています。



まず、歴史館の小林武仁さんに
お話を伺いました。


「今、韓国では、竜馬が大人気なんですね。
 私も拝見したんですが、
 『竜馬がゆく』は、韓国の大型書店にずらりと
 並べられていました。


 それと言うのも、
 亡くなったノ・ムヒョン大統領が
 『歴史上の人物では、日本の坂本竜馬が好きだ』
 と言っていたからなんですね。


 韓国は「南北統一問題」を抱えています。
 なので、
 犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を結んだ
 坂本竜馬のやり方を、
 南北統一問題にもいかせないかという視点で、
 読まれる方が多いようです」



「新撰組の隊服は、当時、人気だった
 『かな手本忠臣蔵』に出てきた
 切腹カミシモの色、あさぎ色(薄い藍色)
 使用しています。

 これはもちろん
 『決死の覚悟を示す色』ですが、
 やっぱり新撰組の隊士たちは、
 どうしても『忠臣蔵』の『忠臣』
 の部分をアピールしたかったのでしょう。

 ただ実際にはこの隊服は不評で、
 必要以上に目立ってしまうものでもあったため、
 最初の2年くらいしか着ていません。

 池田屋の変以降は、上下とも■黒の隊服■を
 着用していたというのが
 当時の記述にも出てきます。



 私は、三谷幸喜さんのNHK大河ドラマ『新撰組』
 を見ていて、最初、
 竜馬と近藤勇が仲良くしているシーンが
 出てきたときは『これは困ったものだ、この先
 どうなっていくんだろう』と
 思っていたんですが
 (実際の史実では、二人に交流はないため)

 ずっと見ていましたら
 『池田屋の変』の回以降、
 何も言わずに、さり気なく、新撰組の隊服が
 黒に変わったんですね。

 それを見て、さすがだなと
 思いました。

 三谷幸喜さんは、すべてを知っていて、
 知った上で『ここぞ』と思った部分だけを
 崩して見せたんだと、そのとき
 初めてわかったんです」


なるほど〜!
勉強になります。

小林さん、ありがとうございました!




つづいて館内を見学。


ここは来るたび、
少しずつ展示が変わっているのですが、


今回も変わった展示を目にしましたヨ。




 !?



竜馬さん、「お腹が出て」「丸顔」
になったんじゃ?

(右手が不気味です。
 どこをさわっているのでしょうか?)




続いて、歴史館を出て、いざ、
竜馬さんのお墓へ向かおうとしたのですが…



横から、こんな、誘惑の声が。



「ねえねえ、さくらちゃんも、

 あんみつ食べに行こうよぅ」




「えーっ!?  


 うーん…


 まっ、いっか!」


甘い言葉にホイホイと、ノリよく、
二年坂に向かう私たち。




お、鹿ぴーさんは、
焼きたてお煎餅ですか!


大きな海苔が美味しそ〜!!


私は
笹もち♪


うふっ♪





このあと、例の



そのあと、
産寧坂で、たくさんのみやげもの屋さんに
吸い込まれまして



気づけばみんなともはぐれ、
一人になってしまい、



よ〜じ屋さんに行き


漬け物屋さんにも行き、


織物屋さんにも行き、



  あ〜、お買い物、楽し〜〜〜っ(≧▽≦)♪




そして気づいたときには…


ああっ(T▽T)



竜馬さん、
慎太郎さん、
小五郎さん、



  ごめんっ



時間もないし、
お墓のほうまで戻る気力もなしで
今回は墓参はご容赦!





ああ、墓参より
買い物をとっちゃうなんて。。。


あたしってばオンナよね〜☆




お昼の集合場所は、明保野亭。



ここは、幕末の志士たちが
夜な夜な会合を行った場所。

竜馬にとっては、小説の中では
恋の宿にもなった、粋な土産物&割烹です。



お出迎えは、耕作くんとダル子さん♪

(2階から入り口を見下ろしたところ)



(階段のすりガラス)



実際の明保野亭は、
今よりもう少し北の位置に
あったみたいです。→史跡


ここで、
ちょっと早めに、旅の解散式が行われました。






楽しい時間は、
いつもあっと言う間だなあ。



京都に来るたび、いつも、そう思います。



さて次回は、いよいよ最後の目的地、
「寺田屋かいぎ」の名前のもととなった
伏見の船宿、「寺田屋」を訪れます。


(つづく)



そういえば 寺田屋かいぎ(最終話)

旅のクライマックスは…



伏見寺田屋。


幕末の志士、特に薩摩藩士たちと
坂本竜馬が京都での定宿にしていたことで
有名な宿で、


現在も宿泊できるという、幕末好きなら
誰もが憧れる宿です。


京都駅から、電車で行くと約25分。
地図で言うと、京都駅からまっすぐ南にくだった
「京阪中書島」という駅の近くにあります。



水がきれいな所だったので、近くには今も







造り酒屋さんが多くあり、ちょっとムードある
町並みです。





寺田屋の近くには、川が流れていて、昔は
大阪と京都を結ぶ「淀川船」の乗り換え船宿でした。

薩摩藩の「指定の宿」でもあり、
また女将の「お登勢さん」が
人情豊かな人物であったため
たいそう繁盛したそうです。





幕末期に、薩摩藩の「定宿」であったということは、
とても大きな意味を持ちます。


…というのは、薩摩藩は、倒幕の直前まで、
幕府側からも朝廷からも、
「最後の砦」のように、
頼りにされていた藩だったからです。


したがって、
「われは薩摩藩士である。
 何するものぞ!」
と言えば、


どんなに怪しいとマークされていても、
新撰組にさえ、容易に
手出しはできなかったため、
坂本竜馬も「薩摩藩士、才谷梅太郎」
という偽名で、しばしば投宿していました。



薩摩藩に、なぜ幕府の信頼があったかと言えば
将軍家には、薩摩家から嫁いだ「天障院篤姫」
が大奥におり、


また一時期は、長州藩を追い落とすため、
会津藩と結託して表向き、幕府の味方に
なっていた時期もあったからです。





しかし、だからと言って、
何も傷を負っていないのかと言えば、
そんなことはありません。




その悲しい歴史の一つが、ここ、伏見寺田屋で
あった、薩摩藩の同士たちの
「相討ち」「同士討ち」でした。





(↑寺田屋の一階で、ガイドさんの
 幕末の歴史に聞き入るみなさん)




薩摩藩主の「島津斉彬」は、幕末期の
名君と言われた、人格者でした。


早くから、幕府の弱腰を見抜き、
篤姫を養女に取って将軍に輿入れさせ、
内側からも、外側からも、
幕府解体の可能性をさぐってきた人です。


ところが、この斉彬が志半ばで病に倒れて亡くなると、
その弟の「島津久光」が
薩摩藩の実験を握ります。


今まで、斉彬のもとで、「尊王倒幕」のため、
一心に志を持ち続けてきた薩摩藩士たちでしたが、
弟の久光は、「倒幕」には賛成できず
あくまで「公武合体」を政治の柱としたのです。


薩摩藩士の中には、
このことにどうしても納得できない過激派がいました。
有馬新七、真木和泉ら、数人です。


彼らは「寺田屋」にて
公家の九条尚忠、京都所司代の酒井忠義の
暗殺を密謀。
九条は、「日米修好通商条約」の勅許を
天皇にも内緒で許可しようとした人で、
酒井と一緒に、和宮降嫁など「公武合体策」を
急速に押し進めようとした人です。



ところが、この密謀が、島津藩主の久光に漏れて
しまいました。


久光は言いました。

「まかりならん。即刻止めさせるのだ。
 説得には大久保一蔵を送れ!」


ところが大久保の説得は、すでに頭の熱くなっていた
過激派には、届きません。


久光は言います。

「仕方がない。
 わしが直接話して聞かせてやる。
 奴らを藩邸に呼びよせろ。

 応じなければ…仕方がない。斬れ。
 それから…」

久光は続けました。


「呼び寄せには、
 同じ志(つまり尊王倒幕の意志)を持つ、
 同士たちに行かせるように」


この時期、竜馬のような天下を住処とした
脱藩浪人ならともかく、
藩士たちにとっては、まだまだ
「藩主のため」「主君のため」
が絶対でした。


主君の命に従えないとあらば、
たとえ、同士であっても
許すわけにはいきません。


また過激派たちも、
主君に直接説得されては、
自分たちも志を捨てることになる
というのは、自明の理。


したがって、藩邸に出向くということは
志を捨てるということを意味し、
それはもはや、彼らには決してできないことでした。


かくして、同じ志を持つ同士、
かつては幼な馴染みであった同士たちが、
藩の指定宿「寺田屋」で
刀を相まみえることになったのです。



(維新当時から寺田屋に残る井戸)



この悲しい斬り合いのようすを、
司馬遼太郎は、「竜馬がゆく」で見事に
描いていて印象的です。


薩摩藩はこのこともあって、さらに
幕府の信頼を篤くしました。


しかし、
そのうらで数年後には、
秘かに長州藩と手を組み、

幕府が「大政奉還」で
権力を手放すと誓ったのちは、

一気にその懐に攻め入って、
最後、幕府の息の根を止めたのも
薩摩です。


かくして
維新の立役者となった薩摩藩ですが、


数年後には、「西南戦争」で
またもや藩内がまっ二つに別れていくことに
なるわけで、


薩摩藩士の「潔さ」は、そういう意味では
物悲しいものがあります。。。


また、維新の立役者になったということも、
一見とても華々しいことではありますが、


倒幕後の粉塵の中、
また、維新で列強諸国の横やりが、
あちこちから入ってくる中で、
一から政治を行うというのは、決して楽なこと
ではありません。


そこで行った「富国強兵政策」は、
日本国としては一時的に効を奏しますが、


それゆえに生まれた「おごった心」が
また、世界大戦の火種となっていくわけで


こうしてみると、
先人の作った歴史は荒々しい因果応報の
歴史でもあり、

私たちもまた、現代という歴史の中で
知らず知らずに、その因果応報に
参加しているのですね。


逆に言えば、歴史の波は
人間の善悪の価値感などを超えた所で
厳しいまでに公平なんだなと
思います。


いずれにしても、たくさんの人が生き継いで、
その時代にできる最大のことをしたからこそ、
今の私たちがここにいます。


そして、
平和な時代の私たちは、どうしても
「おごりがち」なんだと思います。


その点は忘れずに、少しでも
未来のためになるものを、
残していかなきゃなりませんね。
それが私たちの使命だと思います。




さて、寺田屋にはもう一つ、幕末期の
事件がありました。


それが、竜馬の捕り物劇です。

(竜馬が好んで使っていた部屋↑)


この事件に関しては、あまりにも有名ですし、
すでに書いたことでもあるので、ざっと述べますと


伏見奉行が、ずっと目をつけていた寺田屋に
坂本竜馬投宿」の報を聞きつけ、襲撃します。




このとき、最初に風呂場でその物音を聞きつけたのが
のちに竜馬のお嫁さんとなる「おりょうさん」で、


おりょうはまる裸で、その急を、二階にいる竜馬に
告げたことで有名です。

竜馬は、このとき、刀を抜かずに
で反撃。
同宿していた三吉慎蔵はで反撃。


二人はギリギリのところで、
何とか一命をとりとめますが
竜馬は左手親指を負傷。



逃げるときに川に潜ったりしたことで、
急速に失血し、
貧血でふらふらになりながら、なんとか
材木屋に泳ぎつきました。


寺田屋には、この、
竜馬たちが隠れた材木小屋の写真が
飾ってありました。

「ほお〜っ!ここに隠れていたんだ」
と思わず声をもらす私。


時期は、今の暦で言う3月初旬。
さぞ、寒さにふるえたことでしょうね。


でも、このときの看病が縁で、
おりょうさんと結婚した竜馬さん。



その後、暗殺されるまでの
たった二年の間に、

「薩長同盟」を実現させ、

「海援隊」を作り、商売をおこない、

「第二次長州征伐」では
 幕府軍と海戦して勝利をおさめ、

「いろは丸沈没事件」(海援隊の船)
 では幕府御三家の
 紀州藩に、見事損害賠償をさせ、

最後に、
歴史の大転換ポイントである
「大政奉還」を成し遂げました。



すごいなあ…。


一度命を落としかけた竜馬を、
最後、何かが押し上げるようにして、
その役目のすべてを
余すことなく、成し遂げさせます。




じつは、
竜馬は、イギリスのスパイだったかも
しれないと言われています。



でも、スパイになりきれず、最後は個人で
日本のために動こうとした。


そのために暗殺されたのではないかという
説もあります。



そうかもしれない、と思う。


あれだけの遠い距離を、
お金のない、一脱藩浪人の竜馬が、
ときには軍艦に乗り、
縦横無尽に駆け巡り、活躍し、
すべての大舞台で上手にたちまわったのです。


その背後には、


やはり、何かの強大なバックアップと力が
働いていた…と受け取るのが、
自然です。


だけど、やっぱり、竜馬という人は、
日本にとって、
また私にとって、
本当に大きな人だと思う。


背後にどんな大きな力が働こうと、
この人が、
たくさんの草奔の志士と共に
命を顧みずに動き、

竜馬という人の「人格」や「人間性」が
あったおかげで、
歴史が動いたという事実は変わらないのだから。



竜馬は、
寺田屋事件から一年と十ヶ月後、
京都市中の「近江屋(おうみや)」という宿で、
同郷の中岡慎太郎と共に暗殺されて
亡くなりました。











さて、


竜馬の歴史が終わったところで、





私たちの旅もそろそろ終わりです。


(「酒造黄桜」の前で
 ポーズをとるあみちゃん)

寺田屋の近くの
酒造黄桜で、軽く一杯。
(私はソフトクリームを(^^))




(帰りのバスで、良平ちゃんが何かしている。。。
 たぶん、歌を歌ってくれていた。。。
 ような気がする。。。
  よく覚えてなくてゴメン☆)


帰りのバスも、最後までしっかり盛り上がり、



京都駅の南口で解散となりました。


ビールが余ったのは、
昨日、みんなが飲み過ぎたせい(^^;)



主催者のeasyちゃんと、妹のはるちゃん。

本当にステキな旅だったよ!
訪れた先のひとつひとつにeasyちゃんの
深いこだわりを感じ、
どこへ行っても新しい発見があって、
最初から最後まで、ずーっとワクワクドキドキして、
歴史に立ち会うことができました。

ありがとう(^0^)



さて、
これからみんなは、新幹線のギリギリの時間まで
ビヤホールで過ごすそうです。



私とあみちゃんは、
そっと列を離れ、


旅の起点であった、京都駅の北口に向かいました。






京都でもう一泊するあみちゃんを
バス停まで見送り、

私は最後に、
ひとりで珈琲を飲みました。





ふう…。




離れがたいなあ、京都。


訪れるたび、
いつも、心に何かを残してくれる町。



できれば、まだまだ京都の土地と
語りあいたい。歩きたい。


でも、


私も自分の町に戻って、
歴史のゴマ粒に戻って、
また一生懸命、自分の命と志事を
まっとうしなくっちゃね。




ありがとう、京都。


自分の生きる意味を、考えさせてくれる町。



命の根っこを確認したくなったら、


また来ますね!





寺田屋かいぎ2009レポに
長々とおつきあいくださったみなさま、
ありがとうございました。

JUGEMテーマ:京都

二代目らーめん
最近、ゴルフの練習に余念のない母サチボン


そのため私も「夕食づくり免除」の夜が多くなり、
つい先日もそんな日があったので、
夜、ひとりでラーメン食べに
行っちゃいました(^0^)


昼間はどかーーーんっと暑かったのに、
は、風が気持ちいい♪


いい気分です。




とことこ歩いて、
向かったのは「二代目ラーメン」。


このお店、いつもいっぱい人が並んでいるので、
一度、食べてみたかったんだよネ。




スープはこってり系で、
地鶏のコラーゲンがたっぷりな感じ。
きっと食べたあと唇が、
ユーワクのテカテカぷるぷる唇
になるに違いないわ!


麺は「太麺」。
基本的には細麺が好きなんですけど、
この太麺がスープにしっかりからんで、とっても
美味しかった。


ラーメンを食べたのは1年ぶりくらいかなぁ。
ちゃんと食べきれるか心配だったんだけど、
ペロッといけました。



さて、食べたあと、外に出てみてビックリ。


うわっ、並んでる〜!!


そっか、私が入ったのは、
「たまたま」誰も並んでいない
「一瞬」だったのね。ラッキーだったんだ。



宵闇の風に、
白いのれんが、優雅になびいています。



私は、誰もユーワクしないように、
テカテカぷるぷる唇
宵闇に隠して帰りました。




ヨイコ、ヨイコ(^^)

めでたし、めでたし♪



JUGEMテーマ:ラーメン




菊次先生@エクアドル
 
みなさまこんばんは!

今日は、ゲストにエクアドルの
日本の星菊次先生
をおよびしておりますっ(^0^)ゞ

    


http://www.youtube.com/watch?v=yDiMgaDgPB0


キクさま、
スペイン語、すっごい上達しましたね。
すご〜い!

心なしか貫禄もつき、
ますます男前になったような(^0^)





キクさまが南米ボリビア、
インカ帝国誕生の地、ティティカカ湖を
訪れたときの「日の出」体験記も
おもしろいですヨ。  
       →インカでいいんか?




菊次先生へのファンレター
絶賛受付中です(^0^)ノ





JUGEMテーマ:海外旅行 総合
すごいカモ!できるカモ♪

今日も、ステキな本のお知らせ 

著作累計72万部突破!
西田文郎先生の新刊、
『脳を変える究極の理論 かもの法則』

定価:本体1500円(税別) 
現代書林刊
http://www.gendaishorin.co.jp/genki/kamo/

なんと、発売前に増刷決定なんですって。
すごいですね〜!



西田文郎さんの本は、読むと、
頭の中が虹がかかったように
パーッと変わっていきます。

そして、
行間からも説得されてしまうような、
ぎっしり詰まった論理性…


私はどうしても職業柄、
本を読むと、文章の書き方とか著者の方の世界観とか
を見てしまうのですけど、

西田先生の本は、もう1行の隙もなくって、
頭ん中にズバズバッと切り込まれて、

気づけば気持ちいいくらいシャーーーッと頭が
整理されていくんですね。


 この快感!


やっぱり、メンタルトレーニングって、
すごい世界だと思います。


しかも、今回は、可愛いカモの登場が
そこかしこに…(^0^)


こちらの本によると、
人の頭には二匹のカモが住んでいるそうです。

一匹は「できるかも」「やれるかも」
の肯定的なカモ

もう一匹は「ダメかも」「できないカモ」
の否定的なカモ


どちらのカモも飼いだすと、頭の中で
どんどん増えていきます。


否定的なカモはできれば飼いたくない
いや、追放したい…!!



でも、たいていの人は、それができないのが
当たり前なんだそうです。



そうですよねえ…私だってそうです。


しかも、そもそも「追放したい」と思うこと自体
間違いなんだそうです。


  え〜〜〜っっ!?




では、一体、どうしたらいいのか…!?






その方法は…









…ごくっ(唾を飲む音)









続きは、ぜひ本をお読みくださ〜い(≧▽≦)ノ


「なるほど!
 これなら凡人の私にもできるカモ〜
と、私も早速実践中です(^0^)




ちなみに、明日は
「日本中をできるかも!やれるかも!
 でいっぱいにしよう!
7月15日(水)アマゾンキャンペーン「かも祭り」
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やっぱり、不況と言われる今だから、
この本を読んで、たくさんの方に元気になって
いただきたいなあと
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 こ、これは欲しいかも〜!!



みなさま、購入されるなら、
ぜひ明日のうちにどうぞ〜!





JUGEMテーマ:オススメの本






私たちの時代の仕事選び
×6枚



なかなかアップできなかった
絵と文エッセイを
やっとアップしました〜


このところ、体調不良や
祭り事の準備もあって、忙しく、
また果てしなく眠く、
いろいろな方面に、ゴメンナサ〜イ
という感じです。


この土日で何とか追いつけるかなあ…


がむばりまふo(^^;)o



それでは、久しぶりの絵と文エッセイ
の世界へ→GO〜♪


行ってらっしゃいませ〜!!




JUGEMテーマ:仕事のこと