先日、NHK特集で、すごい人を見ました。
その人は
コーギー犬やオウムだけでなく、
家の中で、ハトやニワトリとも、いっしょに
暮らしているのです。
そして、テレビのインタビューに答えているとき、
そのニワトリが、コケッコ、コケッコと、
大声で鳴いて、何かを主張し始めました。
するとその人は、
ニワトリの方を振り向くと、
「ちゃんと聞いているわよ(I hear you)」
と、やさしく答えたのです。
いやー、すごいなー。
これが噂に聞く、ターシャ・テューダーさんかー。
ターシャさんは、
同じ収録で、
胸に抱き抱えていたハトが
バタバタ騒ぎだすと、
「ほら、暴れないの」
と言いながら、頭をなでました。
するとハトは、
たちまち大人しくなって、
気持ち良さそうに、グルグル…とのどを
鳴らしだしました。
「ハトはとても知能が高いの。
コーギー犬と同じくらいにね」
え〜!!
あの、フンを落としたり、
足音にビックリしてバサーッと
飛び立っていくハトが!?
いやー、愛だね…
愛があれば、違うのね、きっと。
実際、チャボなども、
ヒナのときは
湯たんぽをタオルにくるんで、
そばに置いてあげて、
大きくなってからも、雨が降ったら
すぐに家の中に入れて、一羽一羽
布で水気を拭いてあげるんだそうです。
ターシャさんは、
2008年に92歳で亡くなってしまいましたが、
美しい花のあふれる大きな庭の
農家で、自給自足の生活をしながら、
絵本作家、人形作家として、
母として、おばあちゃんとして、
生活の中に小さな幸せを見つけながら、
自然と共に生きました。
何冊か本を読んでみました。
以下、ターシャの言葉です。
「近しい人の死や、
かわいがっていたペットの死は、
これきりもう会えないのだと思うと、
生前のことがいろいろと思い出され、
悲しみにくれました。
でも、この世は生きている人のものだ
と気付いたのです。
生きている人に必要とされる自分、
その人達なしでは生きられない自分に」
「わたしはジョージ・バーナード・ショーの
次の言葉を座右の銘として生きてきました。
『人は自分が置かれている立場を、
すぐ状況のせいにするけれど、
この世で成功するのは、
立ち上がって自分の望む状況を探しにいく人、
見つからなかったら創り出す人である』」
「生きていれば、落ち込むこともあります。
状況を好転できると思ったら、
ぜひ努力すべきです。
でも変えられないなら、
それを受け入れて歩み続けるしかありません。
何があっても、「生きることを楽しもう」
という気持ちを忘れないで。
辛いときこそ、想像力を忘れないで」
(ターシャ・テューダーの言葉シリーズ)
ターシャが、バーモントの田舎に、
農家と庭を手に入れ、
一人暮らしを始めたのは、
43歳で離婚したあと、子どもが巣立った
56歳のときです。
でも、すでに15歳のときから
自給自足の生活を目指し、
一人暮らしを始めていたというのだから、
ローマは一日にしてならず。
本物の努力家ですね。
どの本も、言葉は少ないのに、
ふしぎな魅力があって、
読むたびしみてきます。
どんなにあわあわしていても、読むと
不思議と心が落ち着いてきます。
そして
めくるたびに、美しい庭、かわいい絵!
何より92歳のおばあちゃんともなると、
やっぱり言葉の深み、重み、真実味が
違いますね。
思えば、私は、
これまでも、
自然の中で、四季と共に、
大地に根をはって暮らしていく女性
の生き様にふれては、憧れをいだきました。
でも実際にはなかなか
「では、私も!」とはなりません。
生まれたときから
都会のモヤシっ子、
自然との接点が少なく、
まったくイメージが湧かないんですね。
子どもの頃から大切にしてきたものも、
環境も違う。
だから、辰巳さんや、
ベニシアさんや、ターシャの
ようにはなれないし、
また、なる必要もない。
だけど、やっぱり学ぶのは、
どの女性も、基本的には、
自分の身の回りの人に愛を注いで、
仕事に愛を注ぎ込んで、
身近な自然を大切にして、
すごく小さな日々を大切に味わい、
繰り返し、
全てはその延長なんだなあということです。
女の幸せって、
遠くを見ることではなく、
いつでも、身の回りの小さな小さなことから
始まると思うのです。
いや、女だけじゃないかな。
吉田晋彩先生のような方も
いらっしゃるのだから。
同じようにしみる本に、
日本のおばあちゃんの本があります。
「なぜ、はたらくのか
ー94歳・女性理容師の遺言」(主婦の友社)
この本もすごーーーくいいです。
(初めての方は、右上のアカウント
登録からどうぞ)
いつか、
可愛いおばあちゃんになることを
目指して、先輩方に学び、
これからも女を磨いてまいりましょ〜ネ