こんにちは。絵と文のイラストレーター、「さくらみ(さくらみゆき)」です。
こちらでは、イラスト制作風景や、日常の中のやさしい時間、
心躍るひとときを、イラストでお伝えしていきます。
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思っただけで、たどり着く


夜まだ早い、うす闇の中、
何台もの車が、一斉に
ビュンビュン走って行く風景を見て、
ふと、なにか、妙なものを見ている感じになった。


あの車って、どれも、
一台一台が、人の意志で動いているんだ…


エンジンが車を動かしているんじゃなくって、
あくまでも、誰かが、
「歩くのよりは圧倒的に早く、
 ○○という場所に
 たどり着きたい」
という意志で、動かしているのだ。


「車よりも、もっと効率的に、一直線で
 遠くまで行きたい」
という意志を、たくさん束ねたら、列車や
新幹線ができて、


「いっそのこと、
 障害物も摩擦もない所を通って、
 もっと遠くまで行っちゃいたい!」
という意識を、たくさん束ねたら、
飛行機や旅客機ができたのだ。


いずれにしても、
思っただけで、たどり着くなんて
すごいことを、
人間は簡単にやっているよ。


それはかつて、昔の人が、
どんなに夢見ても
できなかったことなのだ。


でも、いろんな準備が整って、
あるとき、すべてのタイミングが
パチンとかみあって、
それを可能にした人がいたのだ。


たくさんの「こうしたい!」という意識を
束ねる所がミソで、
今あるものを上手に使って、
それを実現した人が、大金持ちになるのかな
と、ちょっと下世話なことを思った。




と…ここで終わってもいいのだけど、
今日はもうちょっと書きます。



その翌日、軽い頭痛に悩まされながら
道を歩いていたら…



向こうから、赤い靴の女の子が、
お母さんと手をつないで、
ヨチヨチ歩いてくるのが見えた。



文字通りの、ヨチヨチ歩き。



「そこまで上にあげる必要はないよ?」
というくらい、
足をつっぱらからせて、
それはもう一生懸命、ヨチヨチ、ヨチヨチ
歩いてきて、


顔はもう、満面の笑み!


道ばたの石、雑草、ゴミ…なんでも、
小さな指の先につまんで見せて、
ん〜、楽しそう!


もちろん、全然前に進まないから、
お母さんはちょっと困ってる。



でも、でも、


 …なんて可愛いんだ!!!


 なんで、あんなに嬉しそうで


 そして、なんであんなに
 「生きている!」って感じなんだろう!



ついさっきまで頭痛で曇っていた私の心は
一瞬にして、パアッと明るくなって、
世界がまるで違って見えた。


ヨチヨチ歩く姿だけで、
人を元気にするなんて、
子どもって本当にすごいや!って思った。


子どもにとっては、
どこまで遠くに行けるかなんてことは、
まるで関係がないのだ。


もちろん、だからと言って、
車や電車に乗る大人が、窮屈で
焦っててかわいそう…
だなんてことは思わない。


でも、あの嬉しい!っていう感じ!


あれだけは、
子どもに学ばなきゃいけないなあ。


思っただけで、たどり着けるなんて、
大人は、すごい自由を手に入れたのだ。


難しい顔して、
あれこれ考えながら行くよりも、
まっすぐたどり着いて、
子どもみたいに、笑えばいいよ。




JUGEMテーマ:つぶやき。

カワイソートイワレタトキャー




 





久しぶりのサチボンネタ。
     (ちなみに、みーちゃんとは私のこと)


母サチボンが私にこう言うとき、


それは100%「おかずがマズい!」
と言いたい時であることが、
最近わかってきました。



  …なんで? なぜ!? どこが!?



…はい。

解説いたしますと、
サチボンの頭の中では、そのとき、
こんな変換が行われているもようです。


「今日のおかずはマズい!」

   ↓
「きっと、料理するときに、
 良いメニューが浮かばなかったのね!」

   ↓
「それとも、仕事が忙しくて、
 あわてて料理して、
 かけるべき手間や時間を省いたのかしら?」

   ↓
「とはいえ…
 わたしも介護のおばあちゃんのおかずを
 作るとき、アイデアにつまることがあるし、
 それに
 毎日、献立を考えるのも大変だろうから…」

   ↓
「でも、それにしたって、もうちょっと
 何とかなるんじゃないのかな〜」

   ↓
「まあ、でも…今日はたまたま
 良い献立が浮かばなかったのよね? 
 …うん、そうよね、きっと…」

   ↓
「でも、それにしたって、この子は一日中、
 家で仕事をしているのだから、
 もうちょっと何とか、工夫すればできるはずよ」

   ↓
「だいたい、一日中、机とパソコンで
 ごしょごしょやっている割には、
 稼ぎが少ないわ!」
   
   ↓
「そもそも、あんなに根つめてやる仕事、
 一体どこが楽しいのかしら?!」
  
   ↓
「だけど…、それは悪いから、言わないで
 おきましょ」

   ↓
「でも、いろいろ考慮しても、
 やっぱりまずいものはまずいわよね」

   ↓
「まったく…この子ったら、
 どうしちゃったのかしら〜」

   ↓
「でも、何も言わないのもシャクだし、
 とにかく、この料理はまずかった
 ということだけは、伝えておかなくちゃ…」
 

…と、これくらいのことを瞬時に思い描き、
その結果、出てくる言葉が


「みーちゃんって、カワイソウ…」


なのです。



くう〜っ

  遠回しすぎるし、婉曲的すぎる!



いろいろ勝手に想像して、
母なりに、ちょっと気を遣っているつもり
のようなのですが、完全に逆効果。


「あのさー、
 そういう遠回しな言い方って、
 女同士だから何となくわかるものの、
 男の家族だったら、一生
 届かないと思うよー。

 おかずがまずかったんでしょ?」


 
「うん…。

 コロッケでも作って、揚げてくれれば
 いいのに…」



うーむ。そうきたか…。
コロッケアゲテヨか…。



ちなみに…


こういうことが起こる献立は決まって、
私が新しい「洋風」の料理にチャレンジ
したときです。


人気のレシピを探し、
それなりに手間もかけて作ったんだけど、
「これは、母は好きじゃないかもしれないなー」
というのは、出来上がった瞬間にわかります。


ただ、
出来上がるまでわからないのがミソなのですよ…
  



く〜っ、あたし、負けな〜い




JUGEMテーマ:食生活
待っててね、わたし


ブログに書きたいことがありすぎて、
描きたい絵も、たくさんありすぎて、
かえって更新が滞ってしまう、
最近のわたし。


これはちょうど、朝起きたときに、
「さあ今日は、あれとか、これとか、
 たっくさんやることがあるぞ!」
と思って、
プレッシャー負けしてかえって
グズグズしてしまうときに似ています。


今の自分の、
一歩も二歩も先に、心が行ってて、
からだが置いていかれている状態。


…これは、私の心のクセだなあ。



でも、最近やっとわかってきたのだけど、
こんな状況のときも、
決して悪くないのです。


進みたいって思っている証拠だし、


そういう自分を、もう1人の自分が
「さあーて、どうやって心の均衡を
 取り戻すのかな」
と思って見ているのも、
なかなか面白いものなのですよ。


待っててね、わたし。


JUGEMテーマ:つぶやき。


DEAN&DERUCAの爽やかソーダ


これは先週の、まだ暑い日に
DEAN&DERUCAで飲んだ、とても爽やかなソーダ。


ミントの葉っぱが「これでもか!」と
言わんばかりに入った、
ライムソーダです。


注文のとき、
説明書きに、ミントとライムと
トニックウォーターとあったので
「これはお酒ですか?」と思わず聞いて
しまいましたが、
「いいえ、ソフトドリンクです」
とのこと。


それもそのはず。
トニックウォーターって炭酸水の
ことなんですね。


プラスチックカップで出てくるのかと思いきや、
最近こういうのあんまり見てないな〜というような、
がっつり骨太なグラスでドーン!ときました。


お味はとてもシンプルで、甘味もほとんどなく、
ゴクゴクッと爽やか。
ストローで氷と葉っぱをカランカランと回しながら
飲みました。


こういう、大ぶりなのに成功しちゃうのって、
やっぱりアメリカならではの感性。
日本にはないよね。


「ターシャ・テューダーが
 夏に作るソーダって
 まさに、こういう感じなんだろうなあ」
って思って、嬉しくなりました。


当たり前の材料なんだけど、
目が覚めるように、新鮮に感じました



…ちなみに、
本日の夕食は、母といっしょに外ご飯。


お目当てのイタリアンレストランが
まだ開いてなかったので、
和食のお店へ。



涼しくて、風がさわやかで、
気持ちよくて、ついビールを一杯所望デス。
ウフフ


でも結果…

食後の仕事がちっとも進まず、眠くなって
しまい、撃沈


アルコールは、ふだん飲み慣れていないと、
やっぱりダメですねー。
思い通りにならない自分を
どう対処していいか、わからなくて
困っちゃいました。


何でもなく、お酒を飲めちゃう人って
すごいなあ。


JUGEMテーマ:東京散歩
私の幻覚体験


みなさんは、幻覚を見たことって
ありますか?


わたしは昨年、
手術をした日の、翌々日の夜に、
右脳が暴走をしてしまって、
眠れなくなるという体験をしました。



入院したことのある方なら
おわかりかと思いますが、
高熱のときに、
病院で過ごす夜というのは
途方もなく、長く感じるものです。


できれば、
気を失うように、眠りの国に行って
しまいたい…


そして、朝、爽やかに目覚めたい!


それが無理なら、せめて
うとうとしたい!!
というのが、病人の切なる願いです。


でも、その夜は、
目を閉じたとたん、
立体的で、極彩色の3次元映像が、
上からシャワーのように、
うねるように、
目の前に展開し始めるのです。


最初は
「うーん、夢にしちゃ、
 いやに疲れるな…」
とふしぎに思っていました。



普通はよく、
「まぶしくて目を開けていられない」
と言いますが、
私はその反対で、
「まぶしくて目を閉じていられない」
という状況になってしまうのです。



どうにもたまらなくなって目を開けると、
そこには、半分暗くなった
救急救命センターの大部屋が、
先ほどと同じように、そのままあるだけ…。


でも、退屈だし、熱で苦しいしで、
ふたたび目を閉じると、途端に
立体的映像が
シュワーッ、シャワーッと
豪快に動き出すのです。


今考えると、輸血もいっぱいして、
そのうえで救急車で転院もしてという、
体にとっては生まれて初めての
強烈な状態だったことや、
薬が強かったこともあるのでしょう。



そのとき私が見た映像は、こんな
感じでした。


私を中心にして、
私のまわりに、円形の劇場のような
ものが広がっています。


そこは狭い、お店のような建物で、
大きな窓の向こうは明るく、
まだ外が昼間であること、
緑と石畳のヨーロッパのような
ステキな町並みを
たくさんの人が行き来している
ことがわかります。



でも、外に出られるわけではありません。
というのも、私は円の中心にいて、
そこに、私と膝を付き合わせるようにして、
人がぎっしり座っているからなんです。


一番おかしなことは、
立体的で、ピカピカの象が、
右側に2列、たてになって
座っているのです。


「…ガ、ガネーシャ?」


なぜ、ガネーシャが
こんなにいっぱい??


ちなみに私は、それまで、
ガネーシャという象の神様に、
特別な思い入れを持ったことも、
親近感を感じたこともありません。


なので、
ガネーシャか、
意外なものが見えるな〜と
半ば、感心しながら、
観察を続けました。


ガネーシャさんたちは、
立体的で、キラキラと、それぞれの蛍光色
ピンク、水色、金色などに
発光しています。

蛍光色と言っても、安っぽい色じゃなくて、
ちょうど、「光る超合金」みたいな感じです。


連なっている、
上の段のガネーシャにまで
目をやっていくと、
どこまでもどこまでも続いているので、
クラクラしてきます。


そのうち、ガネーシャの列が
シャワーのように上から降り注いで
降りてくるようになり、私は
まぶしいやら、スピードが速いやらで、
ついていけなくなり、
横の人に目をそらしました。


というのも、
ガネーシャの列以外の席には、
別の面白い人たちが座っているのです。


世界中の国からやってきたいろんな人たち。


みんな私のほうを向いて、
なぜか、ニコニコと、
温かい目をしてこっちを見ています。


もちろん、知らない人ばっかり。


赤ちゃんもいれば、子どももいるし、
大人も、おじいちゃんもおばあちゃんもいる。
いろんな肌の色をした人たちが、
いろんな格好をして、
私と膝を付き合わせて座っている。
みんな、それぞれちゃんと足があり、
その国の靴を履いています。


その誰もが非常に
立体的にハッキリクッキリ
見えているのです。


ときどき、その中の誰かが、
気泡が立ちのぼるような
感じで、豪快に笑います。


すると、
他の人も一斉に、上を向いて、
笑い始めます。


すると、
あまりにもまぶしくて、
シュワシュワ、
キラキラするので、
私は耐えきれなくなって
思わず目を開けてしまいます。


で、目を開ければ、そこは
相変わらずの救急センターの一室。


何度かこれを繰り返すうちに、
思いました。


 そうか…これが幻覚というものか。


どうせ眠れないならと、私は
目を閉じるたび、観察を繰り返すことに
しました。


幻覚を見ているのに、意識はハッキリ
しているんだから、面白いものです。


その人たちは、一体誰なのか、

どこかで会った、知っている人なのに、
私が忘れているだけではないか、

どの国の人なのか、

見えている人たちに、何か共通点はないか、

どうして温かい笑顔で笑いかけてくるのか、


など、
その映像の意味を、背景を、
ハッキリ見つめよう、
理解しよう!とつとめました。


…でも、

やっぱり、何もわからない。



…ひょっとして、

見えている人々は私の前世?

とも思ったけど…

うーん、
やっぱりどう見ても
知らない人ばっかりだし、
懐かしい!という感じでもないし。


それでも、こうして書いてみると、
決して悪い、
暗い幻覚ではありませんね。


でも、とにかく、あまりにも
キラキラ、シャワーと光り、
映像が立体的で、うねっているので、
そのスピードやまぶしさ、3D感覚に、
すぐ、ついていけなくなってしまいます。


目を開けていないと、気が狂いそうで、
でも、目を開けていると、それはそれで
つらくって、
「お願い、どうかわたしを休ませて〜」
と思いながら、
眠れない一夜を過ごしました。


あれが幻覚というものならば、
感想は「心底、疲れ果てました」
というのが正直なところです、ハイ…。


世間ではよく、右脳を開くと良いと
言われているけれども、
右脳が開きすぎてしまうのも、
それはそれで、つらいことなのかも
しれませんね。





でも、期せずして、幻覚を体験できたのは
今思うと、面白かったナ。


何故、ガネーシャだったのかは
いまだに、謎なんですけどネ。。。


JUGEMテーマ:入院
誰の記憶にもないこと

昨年の夏、冷房をかけていたのかどうかも
覚えていない、忘れん坊の私なのですが、
先日、ニューヨークにいた頃の日記を、
偶然見つけました。

 
10年前のニューヨーク。
忘れていたことがいっぱい書いてありました。

 
ルームメイトのカルメン18歳
「ねえ、ミユキ。
 ときどき私のハートと、
 私の頭は、別々のことを言うの。
 私はそのたびに、どうしていいか、
 わからなくなるのよ」
と、何とも乙女っぽい、
かわいらしい言葉で恋の相談をし始め、
 
私は
「ああ、カルメン、良いこと言うなあ。
 すごく伝わってくる。
 日本人でも、スペイン人でも、
 関係なく、言葉って伝わるんだな」
としみじみ思った夜のこととか、

 
26歳の韓国人のGwang-jeが、
19歳の日本人の男の子と、
タイ料理屋さんで激しい口論になり、
 
しかもその原因が、
以前Gwang-jeのアパートで、
どろどろに酔っぱらったその19歳の子が
トイレに行って、そのあと水を流さず、
しかもパンツをはく前に
酔いつぶれてしまったことがあって、

 
鍵はかかっていなかったから救出は
できたのだけど、
Gwang-jeが、
「まったく大変だった。
 きみは僕に感謝すべきだ。
 あのときは、きみはゲイなのかと
 一瞬疑ったんだ」
とからかったという、
どうでもいいようなことで、

ゲイだっていいじゃないの!
と今なら言ってあげたい所だけれど、


とにかく、
おそらくゲイの人たちに
とても愛されている
のであろう、
その界隈(グリニッジビレッジ)の店で、

 
「ゲイじゃない!」
「いや、きみはゲイだ」
「そんなことを言うお前がゲイなんじゃないか?」
「そんなことはない。ゲイはそっちだ!」
 
と大声でやりあい始めた時には(もちろん英語)
ヒヤヒヤして、どうなることかと思った…
というようなことや、

 
Ansonという、
女の子に絶大な人気のある
ニューヨーカーの英語教師が、
 
夜のActivityに、変なシャツを着て、
変なサングラスをかけてやってきたというのに、
それでもやっぱり格好よくて、

 
Walkの信号を無視して走ってきた車を、
両手を広げて止めたあげく、
「Stop!  We shoud walk!」
と堂々と風を切って歩き始めたことに
ちょっと感動し、
 
大人の男はやっぱり格好いいと思った
ということとか、

 
ヤンキースタジアムに応援に行ったとき、
対戦相手のマリナーズのイチローの名前が
一番最初にコールされたのが嬉しくて、
「イチロー!!!」と絶叫したら、
 
ポップコーン売りの黒人のおじさんに
ビシッと指刺され、
「Hey, You!Be quiet!」と言われてしまい、
(そう、ヤンキースタジアムにいるのは、
 言わずと知れたヤンキースファンばかり)

 
それをしっかり見ていたAnsonに、
クックックと笑われたあとで
「Welcome to New York!」
と自慢げに言われて、
 
その地元愛が、やはり嬉しく、頼もしく、
ますますニューヨークが好きになった
こととか…

 
他にもたくさん、
たった一瞬なのに、
私の心を揺るがせた小さな出来事が
それはそれはたくさん、
書いてありました。

 
たとえば
私は「絵と文」でよく紀行文を描くけれども、
その旅とて、
本当は描けなかったことのほうが多いのです。

 
それは、たいていが、
「窓をコツコツとたたく音がしたので、
 ビックリして振り返ると、
 宿の前の小川にやってきた小鳥たちが
 たてた音だった」(安曇野にて)
 
というような、本当に
とても小さいことで、
誰に言うほどのことでもないの
かもしれないけど、

 
でもその瞬間、
確かに私は、キュンとして、
心がコトンと動いたのです。

 
その出来事は、
この世で唯一私が味わったことだと言うのに、
誰かと共有することも、
書き留めておくことすらできずに
忘れてしまうことが多いなんて…

 
そういう感動って、一体、どこに
消えていってしまうのだろうか。

 
できれば、そういう小さなことほど
絵や文にして
人と共有したいと思っている私は、
それを思うと、かなり
切なくなってしまいます。

 
とにかく、
何かに心が動いたときの気持ちって
何でもいいから、できるだけ、
書いておくべきだなと、
あらためて思いました。

 
読み返すか、
読み返さないかは別としてもネ。
 
それが小さなことであれば、尚の事です。

 
そこに、はっと目を見張るような
特別な学びがあるわけではないけれど、
小さいことの中には、
「生きる喜び」の核心が
ぎゅうっとつまっている気がします。

 
新しい画材♪ PAN PASTEL


先週、紙を仕入れに行ったITOYAさんで、
かわいいお姉さんが
実演販売していた画材
衝動買いしました。


衝動買いと言っても、
私のよく使っている画材の、
新しいバージョンといった感じのものなので、
冒険というよりは
かなり確信的なお買い物です。


実際に使ってみると…
うん、やっぱり、まさにパステル。


もう少し、絵の具っぽい感じかなと
思っていたのだけど、
いつも通りの「粉、粉」した感じです。


この粉を、紙に
化粧用のようなスポンジで
こすりつけるようにして絵を描きます。
まさに、お化粧をするような感じです。


 実演を拝見していて、
 とても良いなと思ったのは、
 一回塗ったあとに、
 消しゴムで消す画法が、
 大胆に使えること。


私が仕事で描く絵は小さいので、
しばらく、この気持ちの良さを
忘れていたなあ…と思いました。

それを思い出せただけでも、
買ってよかった


ちょうど最近、
パステルという画材の良さを
もっといかした絵に、
回帰したいと思っていたところで、
「もし、ヒントがあったら、
 教えてください」
って絵の神様にお願いしていたのです。


神様ってすごい!

と思いました。



お手入れの方法なども、
実演のお姉さんに根堀り葉ほり、
教えていただきました。


お姉さんの描く絵は、
お姉さんにそっくりで、
とてもかわいくて、
そのことも興味深く拝見しました。


自分のスタイルをはっきり持っている
画家やイラストレーターは、
だいたい、自分にそっくりな絵を描く方が
多いんですよ。


毎日ひんぱんに目にするものが、
いつの間にか、深いところで、
美意識に関係してくるのだと思います。


マンガ家さんの場合は、
ちょっと違うのかな。

たとえば
上大岡トメさんの描く絵は丸顔ですが、
ご本人はやせ形の美人です。

トメさんいわく
「丸顔の人間だと思われたかった」
と何かの取材でお話されていましたっけ。

その気持ち、私もよくわかるな〜。


…とここまで書いて、ふと思いました。
私の絵はどうなんだろうな。
私に似ているのかな。


自分のことだけは、なぜだか
よくわからないものです。






お知らせ

佐藤ゴーシさんの本、
ただいま絶賛発売中で〜す




ただいま、本の中の感動のエピソードが
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夜祭りは、ちょっぴりこわいもの…


写真とは全然関係のない話ですが、



今日は、夜、ウォーキングに出たら、
夜空に不気味な光がうごめいていました。



そのうち、生温かい風に乗って、
盆踊りと言うには、あまりにも気の抜けた
民謡のようなおかしな音楽が
聞こえてきました。



やがて、浴衣の人がぽつりぽつり
と増えていき、



気付けば、
地面は座り込んだ若者、

その間を縫って追いかけっこする子ども、

人、人、人でぎっしり。



頭の上には巨大な鳥居と
何千何百もの黄色い提灯。


たくさんの夜店と、踊る輪の人々。


もう、
くらくらするほどの人出です。


そう、今日は、
靖国神社の「みたままつり」の初日
だったのでした。




みたままつりというのは、英霊を慰め、
平和に感謝するお祭りで、
靖国神社ならではの夜祭りです。


でも、今日、私がその場で、
何より強烈に感じたのは…、


祭りにやってきた若者たちの
うごめくようなエネルギーでした。


それは、英霊にささげる感謝の念とは、
全く別の次元の、
異性を求めて放たれる、
強烈な「生(性)」のエネルギー。


女の子たちは、
にょっきりと足が出るような短い浴衣に、
茶髪を結い上げて、おおぶりの花をつけ、
そのまま並んで、
路上にぺたんと座り、


男の子たちは、
茶髪を目の前までたらし、
腰にジャラジャラと光り物をつけて、
獲物を取りに夜店へ走る。


ん〜? ここは、武道館かいっ!?




でも…これ、じつは、
私にも覚えがあるのです。


中学生のとき、
ふだんの制服とは全く違った装いの
同級生たちと男女で合流して、
「みたままつり」に来た時の、
あのワクワクするような浮かれた気持ち。


お目当ての彼は
今日は来ないと事前情報で聞いているのに、
それでもお祭りの夜に、もし会えたら…と思うと、
それだけで嬉しくて、
胸を高鳴らせて。


そんなときの若者は、
神殿の向こうのことも、
戦争で亡くなった方たちのことも、
まったく思い描いていないのです。


ただ、ただ、爆発的なパワーで、
異性に会える喜び、
めくるめくようなときめき、
生(性)の息吹だけを感じているのです。



でも、その有り余るエネルギーは、
ふしぎに靖国神社の「みたま」とも
呼応しているように感じました。


生と死が呼び合っている…とでもいうような。


それはひょっとして、
頭で納得しようとした感謝の念や
祈りなどよりも、

もっと、もっと、強烈で、自然で、
純粋な結びつきなのかもしれません。


思えば古来より、祭りは、
そういう磁場なのでした。



すっかり圧倒されてしまった私。

入り口ではじきとばされるようにして、
帰ってきちゃいました。



うん、正直、ちょっとこわかったナ。

昔は全然こわくなかったのにネ。


靖国には、別の静かな日に、
ご挨拶に伺うことにいたしましょう。



JUGEMテーマ:東京散歩


 
お知らせ

佐藤ゴーシさんの本、絶賛発売中です



福岡の風景も、なつかしか〜。

ただいま、本の中の感動のエピソードが
ご覧いただけますよ。

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味わえるよ、ちゃんと

「なんでも経験だなあ、なんでも…」

この言葉をずぅっと言っていると、
不思議と落ち着く。



私の小さい毎日は、
淡々と続いていて、それは
コペルニクス的転回とかとは
まるで無縁のように思えます。


たとえば、私が
ある日、今までにしたことの
なかった創作活動に
踏み出したとしましょう。



でもそれは、私の中に、
これまでもずっと
あったもので、


ただ、これほどまでに高揚して、
胸のうちで奏でられたことは
なかった所に、
いくつかの偶然が重なって、
「今が始め時なのだなあ」
と悟っただけのことであったので、

その日から、私は淡々と、
その創作に没頭します。




創作と言っても、最初は仕事には
ならないから、

食べるための仕事をしつつ、
合間をぬって、ほんの数時間、
毎日それを続けます。


今までにやったことのないほど、
フルに感覚を使って、
高いものを目指します。


その結果、
めちゃくちゃイケているような
気がするときもあれば、
どうしたらいいかわからず、
何も進まなくて、
そんな自分にがっかりするときも
あって、

それでも毎日、
とにかく創り続けること、
考え続けることだけはやめません。


生きている以上、
自分がこれをしなくなったら、
死んでいるのと同じになって
しまうから…
といったような理由で。




多少の波はあっても、
淡々と続く日々…。


それはときに、退屈に思えるときが
あるかもしれない。


それでも、やっぱり、
大きく見れば、
経験としては面白いのです。



一体どこまで続くのか、
自分でもわからないプラトー(棚)。

ひょっとして一生プラトー(棚現象)
のまま、命つきちゃうのかもしれない。



でも、そういうのもひっくるめて
「なんでも経験だなあ、なんでも…」
とつぶやいて味わってみると、

とりあえず、スッキリして、
明日の自分に進むことができる。


その瞬間、とても幸せな気持ちに
なっているのを感じます。



JUGEMテーマ:創作活動




お知らせ

いよいよ、佐藤ゴーシさんの本が
店頭に登場です



さわやかでステキな表紙♪
私は、この本のなかでは、
農業の場面がリアルで、
好きです。

本の中の、感動のエピソードが
ただいまこちらで視聴いただけるそう
ですよ!
ハンカチ用意して→レッツ、クリック



もしもし? もしもし?
思いがけず、ぽろっと涙が出た。


小説の中に出てきた、
恋が、町の描写が、
私の中で停滞していた何かを
ゆっくりとかき混ぜて、

それは新しくもあり、
懐かしくもあり、

さいきん、
私が勝手に、
自分の中にはもうないと決めつけていた
感情の起伏のようなものを、

別の言葉で言えば「新しい可能性」の
ようなものを、

取り出してみせてくれたような
気がして…


「もしもし下北沢」
よしもとばなな(毎日新聞社刊)


そういえば、
新しい町に引っ越すって、
こういう感覚だったなあ。


引っ越しには、不思議と
プライベートの
出逢いや別れがシンクロしてくるのだっけ。




やっぱり…


やっぱり、ばななだなあ。


私は、本当にこの人の小説が好きだ。



願わくば、ばななさんには
できるだけ長生きしてもらって、
老境の境地で書く作品まで、
ずっと読者でありたい。


ファンとか、そういうナマっぽい感情を超えて、
もはや、何としても、
長生きしてほしい作家さんです。



JUGEMテーマ:恋愛/結婚