こんにちは。絵と文のイラストレーター、「さくらみ(さくらみゆき)」です。
こちらでは、イラスト制作風景や、日常の中のやさしい時間、
心躍るひとときを、イラストでお伝えしていきます。
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駆け抜ける青春




窓のほうからやってきて、
あっという間に私の前を
駆け抜けていったそれ…。


目の端に映ったのは黒いものだったけど、
首を回して追っかけても、
もう、家の中の薄暗い方(節電ですもの)に
溶けてしまって、
何も見えませんでした。 


「虫って、すぐ、見えなくなるよね!?」
…と、誰かに同意を求めたくなる
自分がいました。



JUGEMテーマ:つぶやき。


小さくたって、幸せは…
 


こういう瞬間、心はふわっと
やわらかくなる。




雨粒は、光る天使ね。






あくなき欲求



昨年の今頃、
ショートヘアにしました。


それから伸ばし始めてそろそろ一年。


この一年間は、
その時どきの自分の髪型を、
人さまが何とおっしゃるかに
注目してきました。


短めのおかっぱで、
肩にあたってハネる直前! 


…というときが
一番好評だったなア。


その時期は
あっと言う間に過ぎてしまい、

結局、一年のうち8ヶ月間は
髪がハネていました。


幸せはとても短いのでした。


もうひとつ。






最近、とてもハマっている読み方があって、
それは、図書館の「返却されたばかりの本コーナー」
にある本を読むこと。


自分のアンテナにはまったくひっかからなかった、
とても面白い本に出会えるのです。


でもつくづく思うのは、
小説はやっぱり、予定の仕事が終わったあとの
自分へのプレゼントというか、
ごほうび的な与え方をしないと、ほんと、だめです。



たとえば…

・道を歩きながらでも読んでしまうので、
 道往く人にも、車を運転する人にも、
 迷惑だし、危険である。


・夜寝る前に小説を読む習慣が、何となくついてしまい、
 寝るのがどんどん遅くなってしまう。


・必ずと言っていいほど、読んだ小説のストーリーが
 夢にも出てきてしまう。
 (なんて単純なわたし…)


・現実の世界で何かを「実」体験するよりも、
 小説を読んで「疑似」体験をしているときのほうが
 多くなってしまい、しかもそれを楽しいと
 錯覚してしまう。


・次から次へと、読みたくなってしまい、
 欲望に終わりがない。


しかも、面白い小説であればあるほど、
この傾向が強くなってしまうのが、
とても困ったところです。
(しかも私の好きなのって、
ドロドロの重たい小説が多い)



でも私は、いつも、
「仕事がいちばん楽しい!」と
思っていたいのです。


それなのに、
ときどき仕事をしていても、
何だかモヤモヤしていて、
自分がうわついていて、集中できていなくて、
「あれ、変だなあ」と
思うときがあるのですが、


そういうときは決まって、
小説やら、外部からの刺激やらで、
頭を忙しくしているときなのですね。


読んでいる間はジェットコースター
みたいに楽しいのだけど、
読み終わった瞬間、すぐに次の獲物が
欲しくなってしまう。

いくら読んだところで、
この世に面白い小説は無くならない
と思うので、
無尽蔵にその要求を果たすことは、
もちろんできるのだけど、


でも、外側に向かう欲望だけを追いかけていると、
空しさや寂しさって
どんどん強まってしまうのだなあと
いうのが私の実感です。


それに対し、仕事のベクトルは逆向きです。
自分の内側に、手作業をしながら、
そっと、深く降りていく感じ。


そして、その向こうに、待っててくれている人の
笑顔が何となく見えている。


私の仕事の場合は、
時間をかけたら、かけた分の物が、
あとにちゃんと残るのもいい所です。
終わったあとも、
しみじみと嬉しいのです。


 …ああ!
 やっぱり、私、
 仕事が大好きだわ!!


でも、こんなに語ってまでして
自分を納得させようとしないと、
つい、無節操に、手が伸びてしまうほど、
小説が魅力的な小悪魔くんであることも
確かです。うふふ。


ますます、仕事のあとのご褒美…という
位置づけにしなくては!

そうしたら、良いエンジンになるものね。



JUGEMテーマ:小説/詩


家にいるときの雨音は…




洗濯物はさっき取り込んだし、
しめきりものは今日は無いし、


あとはマイペースに
予定の分の仕事を済ませて、
小説を読むだけ。


めずらしく、ゆったりした気分に
なった午後、雨音のやさしさが
どんどん心にしみてきました。


ありがとう、金曜日。
今週もなんとか、無事に過ごせました。


あとは足もとに、猫でもいてくれたら、
最高なんだけどなあ。





 
本日の小さな一コマ




その焼きそばは、麺を茹でるという、
珍しいタイプで、
私としては、野菜もいっぱい入れて、
とても気合いを入れて作ったのです。


でも、麺を茹でた所までは良かったのですけど、
流水につけるという行程を見落としていたため、
ぺたぺたぺとぺとの焼きそばになって
しまい、母も私もどうしても食べられませんでした。


ちょうど最近読んだ小説に、
その昔、東北地方の農作業が、どれほど大変で、
飢饉が多く、姥捨てや、口減らしを泣く泣く
行ったかというような記述があったのを思い出し、
考える程にショックで、ずぅっと
ハートブレイクな感じで、ちくちくしていました。



その2↓



思えば現代人は、みな贅沢でありますね。


一時、テレホンショッピングに凝ったサチボンには、
今でも、これでもか!と言わんばかりにDMが届きます。


でもほとんどは、中味も見ずにゴミ箱行き。


なので、これほど嬉しそうなサチボンを
見るのはとても珍しいことです。


ちょっと、サチボンが
何をつぶやいているか聞いてみましょう。



「へええ、かつおねぇ」




「ふんふん、はちみつ…」




「あ〜、
 すっぱくなってきた!!」



…それは、梅干し
のカタログでした。






欠落した記憶







私は赤いものが好き。


中でも、
緑の中の「赤」や
白の中の「赤」など、
ワンポイントな「赤」に、かなり弱いのです。


このポストは、見た瞬間、
美しい色で描いた絵はがきを
投函したくなりました。



気が付くと、小物も、赤いものばかりです。



今、このパソコンの前に飾ってあるのも
青い空を背景に、赤いハイビスカスが咲いている写真。





もっとも、だからと言って、
赤い部屋が好きなわけではないのですよ。


わたしのいる部屋は、
どこまでも果てしなく、
白くなければいけない。



赤に求めているのは、
あくまでもワンポイントです。


ところで、
こうした嗜好って、どこで、いつ、
自分の中に芽生えたんだろう?
と、ときどき、ふと考えます。


きっと子どもの頃に、
それを好きになった瞬間が
あるのだろうなあ…。


赤いワンポイントのある服を着ていて、
誰かに「かわいいね〜!!」と
おだてられ、とろけるような幸せを
感じたとか…。


でも、どんなに考えてみても、
そのかけらすら、思い出せません。



そして人間って、こんな風に
思い出せない「かけら」、
つまり、「欠落した記憶の断片」が寄り集まって
生きているのだと思うと、
とても不思議な気持ちになります。



なんて不確かなんだろう。


たぶん、思い出せないくらい無意識に
「あれが好き」とか「これがイヤ」とか
「こうじゃなきゃダメ」「あれはいけない」とか、
言っているのですよ、
もっともらしく、ね。


それなのに、
逆に言えば、こうした一瞬の感情くらい、
人間にとって、確実で切実と思えるものはないとも
言えるのです。


これが無ければ、地球上に
恋は生まれないし、
芸術も生まれない。


あのお釈迦様でさえ、
第一の矢は避けられないと
言うくらいだもの、一瞬で浮かぶ感情って
まっすぐで強いのでしょう。



そうそう、
お釈迦さまはこうも言いましたっけ。
「人間とは、常に真実を
 ねつ造する生きものだ」と。



「すべてを自分に都合よく、
 書き換えて生きているだけなのだ」と。


本当だなって私はいつも思うのです。



いずれにしても、
不確かな、こうしたものが、
人の個性の一番大事なところを作っているなんて、
あまりにも深淵で、面白すぎます。


人が人とふれあうのって
だから大切なのかもしれません。



たとえば、赤が絶対にいいという私と、
濃紺じゃなきゃダメなんだという誰かとが
ぶつかって、初めて人は、
「あ、確かにそういうのもいいな、ありだな」
って気付いて、自分の狭かった世界が
広がるのかもしれません。






…と、
こんな風に、どうでもいいことまで、
つらつらと考えて、
答えが出ないことを、噛んで味わうのもまた、
私の嗜好のひとつです。


どうしてこうなったのかは、やはり
闇の中なのだけれども。


そして、こんなことを考えて、
私が人とつながろうとしているのもまた、
事実なのですね。


「好き」っていう感情は、人と何かをつないで
くれるのかもしれません。
面白いね。



色濃き夏のなごりみち
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夕暮れの道。

雨あがり。




まだ明るいのに、
人の気配はほとんどなくて、




間違えて灯ってしまったオレンジ色の街灯だけが、
ぼんやりとした輪を投げかける。


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あれ、ここは…


どこへツウヅル道なのか。



なんだか急に、


異空間に入ってしまったようで、



DSCN6886_3930.JPG



あらゆるものの、色と、輪郭が


ぐっと迫力を持って見えてきた。




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しだいに速度を増す電車の
轟音が吹き上げてきても、



それに負けない、
ひっきりなしの蝉しぐれ。


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このとき、


たまにしか会えない、


でも、ときおり確かに訪れる、


あらゆるものを内包した空間に、


私はぎゅうっと抱きしめられていた。





早くも時差ボケ



とても気持ちがいい〜♪ 

とても楽〜!!!


東京は、予報どおり、金曜日から
スッと涼しくなりました。


頭の中が一気に秋になってしまい、
でも、
ふとカレンダーを見ると、
「あれ?? まだ8月20日?」と、
しっかり時差ボケのようになっています。


まだ涼しくなって、
たった2日目なのにね。


とにかくウォーキングは、ぐんと
楽になりましたゾ


ありがとう


友達が亡くなった。


慈愛にあふれた、あたたかくて、優しい人だった。


病が重くなっても、道場にも通いつつ
あきらめずに闘病されていて、
本当に立派だった。


その人との
楽しくてユニークで、
「あははは…!」と笑ってしまうような、
あたたかい、キラキラした思い出が
今は胸をいっぱいにしめていて、


きっと最後は迷いなく、
まっすぐ天をめざしていったのであろう
その人の魂を思うと、
変に泣いたり、悲しくなったりはしない。


でも…


気が付くと、
ため息ばかりついているんだ。

ヒューヒューと心の風穴が鳴くようで。


言葉にできないものが、
ぐうっとお腹に重たくあって、

どうしていいかわからないまま、
戸惑っている。


彼は、今、きっと
いろんな人の言葉を聞いているんだろうな。


私はただ、まっすぐに

大好きだったよ、善ちゃん。
格好良かったよ、善ちゃん。

って言ってこようと思ってる。




お盆の間もコツコツと…


ちょっとブログ更新に間があいちゃって
ごめんなさい。

お盆の間も元気にしております。



絵を描いて、
合い間にそうじ、洗濯をして、
ご飯を作って食べて片付けて、


絵を描いて、
合い間にウォーキングして、
珈琲飲んで…


というような毎日。


好調不調の波が多少あっても、
だいたい、このパターンを
地味に続けられるときが調子のいいときで、
なかなか充実しています。


あとはときどきの気分転換を
「思いきり!」するのがとても大事。



私の好きな方法は二つです。

その1)小説と、エッセイと、
ドキュメンタリーの本を、
いっぺんに5冊くらい、
半日くらいかけて同時読みする。


その2)映画を観に行って、あとで
美味しいものをこっそりと食べまくる。
(…こっそりと。フフフ)


私は仕事に集中しているときは、
精神的にも肉体的にも
あまり遠出ができなくなるのです。


なので、手近なところで別世界に行って
頭の中を一度空っぽにして
現世界に帰ってくる感じです。


8月前半、映画は
「ハリポタ最終話」と「モールス」を
見ました。

どちらもなかなかよかったですヨ。


「ハリポタ」は私の気になっていた
あの人が、最初から思っていたとおり
の人で嬉しかった。


「モールス」は怖いのに切なくて、
あとで何回も頭の中の映像を
なぞってしまう自分がいました。

S・キングの、あの小説を思い出しました。




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