(文字に制御がかかってしまい、
今回は小さい文字での表示になってしまいます。ゴメンナサイ☆)
映画『エレファントマン』や
テレビシリーズ『ツインピークス』でも有名な、
デヴィッド・リンチ監督は、
絵画を習うためにオーストリアに行ったとき、
「あまりにも街がキレイすぎて」
「そして、マクドナルドが少なすぎて」
まったく創作意欲が湧かず、げんなりして、
3年の留学計画をさっさと切り上げ、
たった2週間でアメリカに帰ってきて
しまったんだそうな。
そして、
フィラデルフィアの治安のいちばん悪い区域に
一軒家を借り、地下室にこもって、
(そしてたぶん、特大のマックシェイクを飲みながら)
やっと安心して、創作活動に打ち込めるように
なったんだとか。
そんなデヴィッド・リンチ監督の
こんな言葉が
Itoーyaさんのフリーペーパー「itoya post」
に載っていました。
「1時間、
いい絵を書き続けるためには、
誰にも邪魔されない4時間、
が必要である」
…おもしろい♪
おもしろいし、私にも、この感覚はちょっと
わかるなあ。
創作に関わる人は、一時期、
「環境」みたいなスイッチを求めて、
外側を探し回る時期がある。
思えばかつて私にも、
異国の地で、絵を書こうと試みた時期が
あったっけ。
「環境」のスイッチ…
たとえばアジアの地では、
それはとてもうまく機能した。
期待も予想も、全くないところで、
流れるようにそれは始まり、
甘い蜜の中にいるようなバラ色の時間に
しばし恍惚となった。
その恍惚感に味をしめ、
こつこつと貯金に励み、
数年後、期待全開で乗り込んだNew York…
ところが同じスイッチは、
今度は、全く作動しなかった。
街のことは、モチロン愛していたけど、
何て言うのかな、
身体的「ものさし」のようなものが
まったく合わなかったのだ。
あの街は、何もかもが
私にとっては大きすぎた。
かの地でそれがかろうじて
「ことり…」と動いてくれたのは、
帰国直前に母に宛てて書いた手紙の中だけ。
もちろん、たった一回でも、
それは貴重な一回だったけれどもネ。
その後、ふるさとTokyoに戻り、
こんどは自分の生まれた場所に一番近い、
チャカチャカした騒がしい学生街で、
事務所を借りて再トライ。
そこでの結果は…
うーん、
プラスが半分、マイナスが半分、
プラマイゼロという感じかな。
その後、事務所を手放して、
今は何はなくとも、小さな机がひとつと、
歩いていて気持ちのいい、大きな樹のある場所が
近所にあって、
あとは心静かに過ごせる時間があればいい、
という状況になっている。
いろんな景色を見て、環境を変えて、
30代の10年をかけて、やっとひとつわかったのは、
結局、人が、自分の奥に潜むものを引っぱりだしてくるには、
外側のきっかけというよりは、
じぶんの足元の「地下室」のような場所に潜り込み、
心の暗がりの中で目をこらし、耳をすませる以外にない
ということだ。
そこは暗いし、
空気も固まりのようになってよどんでいるし、
視界も不良だけど、
じっとしていると、五感が冴えてきて、
かすかな空気の流れの違いまで嗅ぎ取れる
ようになってくる。
デヴィッドリンチさんは、きっとそのことが
たった2週間で分かったんだと思う。
(私は10年かかったけど…)
そして時はめぐり、
世界とのつなぎ目を、もう一度結び直していく時期が
今、私にもそろそろ近づきつつあります。
探求はまだまだ続いているノダ。
さーて今度は、どんな風景が見えてくるかな?