江戸東京博物館の片隅に、
こんな模型図があります。
「東京地盤模型図」
ボタンを押すと、
見たい部分の
断面図が出てくるしくみ。
ボタンを押してみたい!
…という方には、
東京江戸博物館に
実際に足を
運んでいただくとして、
今日は、断面図ではなく、
全体図に注目してみましょう。
真ん中の青いところは、
大昔の河口にできた
砂の多い土壌。
もちろん今は、
人間の手によって、
平らにならされ、
この上に、
たくさんのビルや家が
建っています。
でも、
隅田川から中川の間は、
もともとは、もっと大きな
太古の川によって
浸食されたあとなのですね。
「深川」という地名が
ありますが、なるほど
よく言ったもんです。
これで見ると、
「皇居」はずいぶん
高く見えますが、標高はだいたい
20メートル程度です。
この台地をぐるりと
川沿いに北上すると、
「十条」や「赤羽」に
なるのかな。
わー、そうだそうだ!
なるほど、
あれが噂の十条赤羽の
「崖」ですね、フフフ。
さてお次は、
ぐぐっと西に回って、
こちらは、多摩川流域。
「登戸」と「自由が丘」
の台地の間に、
ぐっと低い川の流れ。
確かに「自由が丘」や
「田園調布」東側には
坂がありますし、
登戸駅の向こうも、確か、
崖になっていたような。
多摩川の河口付近も
見てみましょう。
「川崎」のあたりは、
「江戸川」の流水域よりも、
低いようです。
東京湾を見ると、
真ん中が真っ青。
「東京海底谷(かいていこく)」
これぞ、太古の川の名残であり、
台地が盛上がって深く刻み込まれた
「しわ」
ということになるのでしょうか。
実は、この岩盤パネルは、
「地震コーナー」にあります。
やはり、
巨大な大陸プレート(岩盤)が、
何枚も、押したり引いたり、
せめぎあうことによって、
この東京湾という、
変わった地形を生み出した
ってことなんでしょうね。
(by wikiペディア 南関東)
模型図の後ろにある展示です。
この図で見ると、
安政の「江戸地震」と
大正の「関東大震災」では、
下の「関東大震災」のほうが、
ずっと大きかったようにも
見えるかもしれませんが、
実際には、揺れの度合いは、
狭い地域で起こった
「安政江戸地震」のときのほうが
ずっと大きく、倒壊も
ひどかったようです。
一方、関東大震災は、
倒壊で亡くなった方は
ほとんどいなかったのですが、
火災と、それに伴って発生した
「火災旋風」による被害が甚大でした。
いずれにしても、
次にどんなタイプの
地震が起こるかは、
現代の知識では測りかねる
ようです。
(安政江戸地震のほうが
深いところで
起こっている)
平地は、
「大都市」に向いた地形
なのですが、
一方で、そもそもの構造が
川の流れ集る河口であるために、
揺れやすい土地でもあり、
それは、東京でも
名古屋でも大阪でも、
構造的に一緒です。
もっとも、
地震の世界地図から
しても、
(東大地震マップ模写・
赤いところが地震帯)
TPPというより、日本は、
「環太平洋」大地震帯に
所属しているわけですから、
これを克服していくのは、
日本人の宿命なんだろうなあ
と思います。
と言っても、
建築や地震予知は、
専門家にお任せすること
しかできないけれど…
「経験したことについては
しっかり教訓を貯め」
「それを言い伝え、残していく」
ということだけが、
後世の人に向けてできる
唯一のことかもしれませんね。
さて、
ちょっと気分転換して…と。
ピチュ、ピチュピチュ…
(環境音楽が流れるイメージ!?)
…ということで
少ーし、気分転換できたかしら?
最後に
東京の地盤全体図をもう一度
見てみましょう。
ふぅん。
今はもう、ビルや家が
立ち並び、コンクリートで
固められた東京。
その見えない足の下に
こんな凸凹が
広がっているなんて…
やっぱり、
興味深いですね!
地球の「しわ」の上に
住んでいるんだなあ、
私たち。
なんだか、地球が、
可愛いおじいちゃんのように
思えてきました。
もっとも、地球が、
90歳〜120歳まで生きるとして、
今は45〜46歳と言った所なので、
まだまだ青年〜中年くらいカナ。
しかも、
そのうち人間が住めるのは、
ものすごく短い時間…。
地球さん!
せめて人間が住んでいる間だけでも、
大きなクシャミをするときは、
どうか、できるだけ、
事前に教えてください