こんにちは。絵と文のイラストレーター、「さくらみ(さくらみゆき)」です。
こちらでは、イラスト制作風景や、日常の中のやさしい時間、
心躍るひとときを、イラストでお伝えしていきます。
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あっという間に和の年賀状♪
早くも年賀状の案内が、
ポストに届き始めましたね

来年はどんな年賀状にしようかな〜
と迷ったときは、こちら!
TH160_9784774169743.jpg

なんとお値段、
たったの462円でCD-ROM付き。
1500点もの年賀状の中から、
お好きなものをチョイスできます。


私も「友人」あてのコーナーで
全部で8点の年賀状と
カットイラスト4点を描かせて
いただきました。
あっという間に和の年賀状5.jpg




あっという間に和の年賀状6.jpg





あっという間に和の年賀状.jpg






あっという間に和の年賀状3.jpg






あっという間に和の年賀状2.jpg






あっという間に和の年賀状4.jpg





あっという間に和の年賀状7.jpg





あっという間に和の年賀状8.jpg



小さなカットイラストも…♪

あっという間に和の年賀状cut2.jpgあっという間に和の年賀状cut1.jpg


いかがでしょう!?


一気にお正月らしい気分に
なっちゃいませんか


来年は未年ですが「ひつじ抜き」で
ずーっと使える定番型
ありますし、

家族写真を組み込める
タイプのものもあります。

文字の足したり、引いたりも
ご自由にできますよ!


1500点もあるので、
とにかく、いろいろお楽しみいただけます。
TH160_9784774169743.jpg
迷ったら、コレ!


よろしくです





イラストホームページへは
画像↑をクリックでジャンプ♪


縄文ショック















福島の宮畑遺跡を見て以来、
すっかり縄文にハマっている私。


敬愛する岡本太郎さんが、
縄文土器を見て
「なんだっっっ!? これは!!!」
と衝撃を受けたというのは
有名な話ですが、


その話を聞いた時も、

「へええ、なるほどねえ。

 だから太郎さんの彫刻は、
 あんなにキュートで
 ダイナミックなのね

くらいにしか受け止めていなかった
自分が…
くぅ〜、悔やまれます。


参考)太郎さんアートの数々↓
太郎アート1.jpg




太郎アート3.jpg



(岡本太郎記念館@青山より)



やはり、子供の頃に勉強した
「歴史の教科書」というものは、

良くも悪くも知らないところで、
人間の知識に、深く影響してしまう
のでしょうか?



私にとっての「縄文時代」とは、
これまで、歴史の教科書1ページ分
くらいの知識と、鮮やかさしか
ありませんでした。


しかーーーーし!!


縄文美術館という本を見ていると、
まあ、大作があるわあるわ、



人はやはり、昔から
こんなにも美しくて、強いものが
好きだったんだなと
実感させられます。


美術館がいくらあっても
足りないくらいのアーティストが、
縄文時代の昔から勢ぞろい
だったのです。



ちなみに、
縄文時代の遺跡は
そんなに数が多くないだろうと
お思いの方、


とんでもございません!!


日本は、縄文遺跡で埋め尽くされて
おります。

まさに、
「裏庭を掘れば遺跡に当たる」と
中沢新一さんがおっしゃった通り。


その中沢新一さんが、東京だけですが
アースダイビングマップを
公開してくださってますので、
興味のある方は、
ぜひ自分のお住まいの近くを
遺跡検索してみてくださいね。



それにしても、縄文土器や
美術品を見ていると、
しみじみと人間というのは、
不思議だなあと思います。


それはやっぱり「心」を持っている
からなんですね。



研ぎ澄ました五感をフル活用して、

風の匂いを嗅ぎ、
森の奥の音に耳を澄まし、

森羅万象をじいっと目を
凝らして観察していた縄文の人々…

「直感」や「気配」を感じるのに
長けていたのは当然のこと。

アートの源流=人間の原点
といったものが、ストレートに
表現されている。


その最たるものは、何と言っても
「祈り」です。


家族のみんなが、末長く健やかで
長生きできますように。

みんなで美味しいものを食べ、
賑やかに、歌い、踊った
あの夜の幸せを、
また味わえますように。



遠くからやってきた
見知らぬ部族の奴らと、
おっかなびっくり話をするうち、
まるで旧知の親友だったかのように
話が通じて、一瞬で
仲良くなれたときの嬉しさ。


大好きなあの人と、
晴れて夫婦になることを
村人に認められたときの
喜びと気恥ずかしさ


ひどい陣痛に苦しんだあと、
生まれてきたわが子が
初めて乳を吸ったときの喜び。

そして、その子が、
寒さと飢えで、
あっけなく死んでしまった
ときの嘆き。


…ああ、また子を産み、
大切に育てなければ。

家族が多ければ、
いろいろなことを助け合えるのだから。

きっと儚く逝ってしまった
あの子も、それを願っている。

もっと強い体になって
もう一度私たちのもとに
生まれてきてくれるに違いない。


そうした感情の深まりと極みが、
土の中に、こねられ、
織り交ぜられて
作られていった作品たち。


ああ、なんて切ない。


それは、命の詩そのものです。


「心」を持って生きるということは、
「物語」を作りながら生きていく、
ということなのですね。




縄文時代の人々の
平均寿命は35歳。

女性は13歳くらいから
母親になるのも
普通だったようですが、
赤ちゃんは、生まれても
なかなか無事に育ちませんでした。

もっとも江戸時代になっても、
大名や徳川家の赤ちゃんでさえ、
なかなか無事に育つのは
大変だったと言いますから、
今の医学の進歩は驚異的なんですね。



もう一つ、縄文美術を見ていて
感じたのは、
やはり人間のすごいところは、
「何でも工夫する」ところだ
ということです。


それも、先人の作ったものを
そのまま真似するのではなく、
常に何かしら進化させようと
試みる。




話はヨーロッパに飛びますが、
「人間って本当に工夫するのが
大好きなんだな…」と
以前私が実感させられたのがこちらの

マンモスの骨住居.jpg





マンモス骨住居説明.jpg
マンモスの骨の住居あとを
見たときでした。



(国立科学博物館@上野)

もちろんこれは
復元されたものですが、
こんなに見事な家の形に
なっている。


身の回りにあるものを
何でも上手に使って、工夫
せずにはいられないのが
人間なんですね。


だから、わが縄文時代の住居も
この通り。

宮畑遺跡の竪穴式住居.jpg
(宮畑遺跡の竪穴式住居)



竪穴住居内部.jpg


竪穴式の中.jpg
豊富な木の資源を活用して、
家づくりがされていたのが
よくわかります。


しかも日本では、
「木の家」が
その後もずっと続いて、
高床式→寝殿造り→武家造り
→書院造り→数寄屋造
と進化し、


江戸時代の庶民の家は
もうかなり、今の私たちの
住まいに近い。
江戸深川資料館.JPG
(深川下町資料館@清澄白河)


江戸深川資料館_3.JPG
長屋


こちらは長屋の中の、
三味線のお師匠さん
「おしづさん」の家↓
江戸深川資料館_1.JPG







六畳一間に




江戸深川資料館_4.JPG
土間兼台所。



大正時代
大正時代の家.jpg

戦時中(昭和)
昭和初期の家.jpg
(最後の2枚は東京江戸博物館@両国)

思えば、
私が7歳まで暮らした家も
「木の家」だったなあ。


そう考えると、
つい最近まで、日本は「木の家」が
優勢だったことになります。

…となると、
火事と地震にはやはり弱い。


でも、
身近にたくさん木材があるから、
やはり木の家が一番建てやすい。

湿気も吸ってくれるし、
自然の優しさがあるし、
いいところもたくさんある。

だったら…、
工夫して住みましょうよ!

火事はなるべく出さないように
町ぐるみで協力しあいましょう!


かくして、
「いとあはれ」「諸行無常」の
無常感と共に、

「助け合い」の精神、
「規律を律儀に守る」精神、
「工夫して使うモッタイナイ」の精神

などがどんどん発達して、
宗教、文化と合体し、
日本人の精神構造が作られていったのだと
思われます。


いずれにしても、
太古の昔から、
切実に「子孫繁栄」を願い、
たくさんの艱難辛苦を乗り越えて、
命と知恵を継いでくださった
ご先祖さまたちがいたこと。


私たちはそのおかげで
今、こうして生きているんだと、
しみじみ思う秋の夜長…



感謝


JUGEMテーマ:歴史
三毛猫侯爵の館と、扇橋◯◯
気になる形の建造物











館のあるじは、
三毛猫侯爵です。




別の方向からも見てみましょう。

…な、長い!?

これだけ回廊の長いお住まいとは、
侯爵、かなり裕福な暮らしを
満喫されているご様子。


しかし、この形を見て、
「あ、これは⚪︎⚪︎ですね!」
とわかっちゃう人がいたら、
相当の猛者ですね




意図的なのか、何なのか、
4つの塔のうち、一つだけ
草がボーボー。
(猫草だったりして!?)


さて、皆さん、
これがなんだか
分かりますか?


ヒント:
この建物を挟み込むようにして
存在しているものをお見せしましょう。





西側には



荒川


な〜んだ〜!
また川の話か…


とおっしゃるなかれ。




だって西側だけじゃなく、
東側もこれまた…
川なんですね〜。


こちらは中川。

ちょうど、小名木川が
始まる場所で、江戸時代には
「舟の関所」
があったところです。



中川からさっきの廃墟を
見上げてみましょう。
階段の向こうに、
例の草ボーボーの塔がちょっこし
見えるでしょ?


さあ、
ここまで来たら、
もうお判りですよね!


そう、この建物は…
侯爵の館ではなく、


「水門」だったのでした。




…「水門? あれ?
こんな形だったっけ?」
と思われた方のために、
日本橋川と亀島川を隔てる
水門の画像を。





もう一つ、
小名木川と隅田川を隔てる
水門の画像もどうぞ。

この、今見えている2基の
青い水門のうちの1基分の、

「上」三分の一だけ見えているのが
この三毛猫侯爵の館なんです。

ほお〜、なるほどね〜!


下3分の2は、堤防の土手に
埋められてしまったのですね。


実はこの旧水門、
ただの水門ではなく、
「閘門(こうもん)」と言いまして、
別名ロックゲートと呼ばれるものです。




ロックゲート


ロカビリーでも聞こえてきそう
ですが、ロック違い。

世界的には、
パナマ運河のロックゲートが
とても有名です。
  

ロックゲートの構造を一言で言うと、
水位の違う川を、
スムーズに行き来できるようにした
「舟のエレベーター」


今は、この近くに
「荒川ロックゲート」が新設され、
そちらが大活躍をしています。


その荒川ロックゲートでは
ありませんが、
先日、舟くだりの際に、小名木川で
私も「舟のエレベーター」を
体験してまいりました

(扇橋閘門・江東区住吉駅近く)
まず、後扉から、
エレベーターの中に
舟ごと入ります。


入ると、後ろ扉が音楽と共に
ぐんぐん閉まっていきます。





すると、あれあれ?

ブシューッ!と
泡が水の底から出てきました。

「ただいまから、
 2メートル30センチ
 水位が上昇いたします」
上のほうから、女性の声でアナウンス
が始まりました。




そう、出て来たのは泡ではなくて、水。

エレベーターの中で、
どんどん水かさが増している
んですね。


その勢いたるや、すごい!


たった一隻しかいないのに、
そんなに水を贅沢に使ってしまって
いいの?と心配になりましたが、
水道水ではないので、
無駄ではないそう。


今は多くても3隻くらいのようですが、
昭和初期までは、この閘門の間に
木の舟を含むたくさんの船が
ギュウギュウ詰めだったそうです。


前方も
見てみましょう。




ブシュー。
おおお!





みるみる増していきます。






ああ、黒い部分が
もうあんなに短くなりました。


そして、前方の川と同じ高さに
達すると…







ザーッと、水を落としながら
また前扉が開き始めます。


このとき、
扉から落ちてくる水には
扉を洗うために
水道水が使われているそう。


なぜなら、
閘門には何千万円もする扉を
使用しているので、
海水を含んだ川の水で錆びさせては
いけないからなんだって。


そんなわけで、
閘門の水の下を通る舟も、
一瞬、
水のカーテンを
くぐることになります。

滴る水音に
「きゃあー」と歓声をあげながら
出た先の川がこちら。


いきなり、両岸が低いですね。



閘門をくぐる前の川岸は
こんな感じ↓
いかに岸が低くなったか
おわかりでしょう。






かつて明治から高度成長期にかけて
この辺りでは、
盛んに天然ガスの採掘などが行われ、
地盤沈下が起こってしまったそうです。


なのでこの近辺は、
水位より川岸のほうが低い。

防災のために、水門や閘門が
大活躍してくれるというわけですね。


どうやら、
日本中の都市と川には、
みんなこうした水門や閘門があって、
人知れず、
私たちの暮らしを守ってくれて
いるようです。


閘門さま、長きのお勤め
ありがとうございました。

今は静かにお眠りください 




「寝るには最適の館だニャ〜」




JUGEMテーマ:東京散歩
槍かけだんご、いただきました♪


好きな食べ物を三つあげてと
言われたら、

私の場合、必ず入ってくるのが、
この「みたらし団子」です。


特に「できたて」はたまりません


塗りのお盆の上に
トロリと光る、甘辛しょうゆダレ


好きが高じて、京都まで、
「みたらし団子発祥の地」
と言われる、
下鴨神社の「みたらしの社」
にお詣りに行ったこともあります。


発祥の地の「みたらし団子」は、
いかにも京都らしく、
黒糖の香りがふわっと鼻に抜ける、
ちょっと上品なお味でしたっけ。



さて、北千住かどやの
「槍かけ団子」



こちらのみたらし団子は
甘辛が濃ゆくて、
私の大好きな下町の味です
一本90円也♪


お店は、昔テレビで見た古い
「かどや」さんを想像して行ったら、
ピカピカに立て直されていました。
ちょっと昔の建物が懐かしいナ。


ここ、北千住は、
隅田川と荒川に挟まれ、
まあるくカーブした川にそって、
中洲のような、島のような、
丸くふくらんだ面白い形をした町です。


日光水戸街道の宿場町として、
江戸時代から栄えていました。

水戸と言えば、
黄門さまこと、水戸光圀公。

あるとき、参勤交代で
水戸光圀公御一行の大名行列が、
ちょうどこの宿場町にさしかかり、
街道をさえぎるほど、枝ぶりを
伸ばした見事な大松があるのに
気がついたそうです。

町衆にとっては、自慢の大松

けれど
御一行さまの槍持ち達は青ざめました。

なぜなら、つい最近のご法度で、
「槍持ちはいかなるときも、槍を
 横に倒してはならぬ」
と定められたばかり。

しかし、この大松の下を通るには、
どうしても一度は
槍を倒さねばなりません。

慌てて上士に相談すると、

「仕方がない。
 槍を倒すくらいなら、松を切れ!」

とむべないお返事。

町衆の悲鳴が上がる中、仕方なく
槍持ちたちが松を切ろうとした
まさにその瞬間、
黄門さまが現れておっしゃったそうです。

「あいや、しばし待たれよ。

 ほほう、これはこれは。。。
 なんとも立派な松じゃのう。

 おのおの方よ、
 この松に槍を預けて、しばし
 休みをとりなさい。

 しかるのち、
 松に立て掛けし槍を、
 あちら側に回して上手に持てば、
 ほれ、
 横に倒さずに持てるであろう?

 ふぉっふぉっふぉっ」


そのおかげで、伐採をのがれた名松は、
「槍かけの松」として、
昭和20年ごろまで、実際に
残っていたそうです。(樹齢350年)

(途中、少しだけ脚色しております
 謂れ通りです)



そんなわけで「槍かけ」の名前が
お団子にも残っていると
いうわけね


ところで、北千住。
いつも乗換駅として
便利に使わせてもらいながら、
駅前しか歩いていなかったので、
今回初めて知ったのですが、
かつて宿場町だった名残りを
大切にしているので、
とても風情が良い町なんですね。


(紙漉問屋さんだった横山家)






懐かしい感じの
建物がたくさん。














玄関の明かり取り一つに
キュンとくる



(かどやさんのすぐ横の銭湯)





長円寺。



江戸初期の開庵。



ラジオ体操発祥の地の
石碑があった氷川神社。


この古い神社も、
小さくて、美しくて、
見た瞬間に心惹かれる風情
を醸し出していました。
(1307年創建)


日本は、自然災害が多いので、
街並みはどんどん新しくなり、
海沿いには免震タワーがニョキニョキ
建ち始めています。


でも、
まだそんなに遠い昔ではない、
昭和の建物でさえ、
これほど懐かしいんだもの。

古き良き日本の建築物も、
ちゃんと残していきたいですね。


北千住の古い町並みの保存、
応援してます


JUGEMテーマ:東京散歩

穴子顛末記


今更「か弱き乙女です」などと
言う気はさらさら無いのですが、

焼きたてのトーストに、
美味しいジャムを塗ろうとして、
瓶のフタが開かないのは、
なんともクヤシイ

フタ開け専用のゴム布を使っても
ビクともしません。



でも…大丈夫!

すると、トップにこんな記事が
出てきました。




読んですぐ、






「ものは試し」と







すると…









これには、
脳みそも「パカッ」と
開いた気がしました。

(「道具を使わないあけ方」の
手順2だけでも十分あきます)


こういうの、今どきの言葉で、
ライフハックというんでしたっけ。

すごいなあ。

こんなに簡単なのに、
なんで今まで知らなかったんだろう…



bikkuri5.jpg




もうひとネタ。












bikkuri5.jpg





都会のもやしっこ、
こんなに魂揺さぶられるものを
久しぶりに見ました…



でも、良いことですよね。

だって、
「命をいただく」ということが、
これほど伝わってくるものって
今、なかなかないもの。




それに …



穴子、めちゃめちゃ美味しいし




あとは…


誰が料理するかだなー



もちろん、



私しかいないけどさ。


あれこれ逡巡し、
とりあえず、穴子さんには
冷凍庫に入っていただきました。



ところが、その後も
穴子さんのアピール度は半端なく、


冷凍庫をのぞくたび、
毎回、ギョッとさせられています。



ああっ
ワタシの弱虫の虫め〜




茶道教室の80代の先輩がたに
「穴子って、ひらいてあると、
 顔がこわいですね〜」
とお話しましたら、


「あなた、そんな弱気でどうするの?」

「命をいただくんだから、
 ちゃんと工夫してお料理なさい」

「だめよ〜、
 もっと心を鍛えなくちゃ!」

と、愛あるお叱り言葉を
いただきました。



ああ、本当です!

本当に私もそう思います!!!




…が








なんと、不肖の弟子は、
お茶の先生にお料理を
お願いしてしまったのでした。

とんでもない弟子です

というか、先生、優しすぎます
ありがとうございます。

穴子さんも、きっと
喜んでくださると思います




は〜… 都会のもやしが、
大根になる日は、
まだまだ遠いなあ。。。
(足以外はね)



東北食べる通信ホームページ




JUGEMテーマ:今日の*おいしい*

100%にこだわらない


仏教によると、
心が「疑」の状態になって
ウロウロさまよっている間は、
幸せを感じることはできないと
言います。


では、どうしたら幸せになれるのか。

100%好きなことじゃなくていい。
「55%くらいだけど、まあ好きかな」
くらいのことを探して没頭すれば、
人はそれだけで、
いろんな煩悩から救われるそうです。

仕事はもちろん、
夕飯作り、おそうじ、お皿洗い、
洗車、庭仕事、なんだってオッケー。

そう。
例えどんなに好きなことだって、
極めようとすれば、
必ず道は平坦じゃなくなる。

「子どもの頃は楽しかったけど、
 だんだん、それだけじゃ
 なくなってきました」

これは浅田真央選手が
フィギュアスケートについて
語っていた言葉です。


一方、小説家の道尾秀介さんは
こんなことをおっしゃっていました。

「小説を書くのが好きで好きで、
 作家になってからもやっぱり好きで、
 いまだにショーマンシップなど
 皆無のまま、
 ただただ自分が読みたいものを
 自給自足で書いている。」
    〜『プロムナード』
     著:道尾秀介(文春文庫)

…自分が読みたいものを
自給自足で書いて、
それで他人さまからお金をもらう。

「いいなあ、自由で!」
と思われるかもしれませんが、

自分の心と深いところで
一致する表現を追い求めていき、
それを公に発表するというのは、
表現を志したことのある人なら
誰でもおわかりの通り、
やっぱり一筋縄にはいかない、
きつい山登りみたいなものです。


隣の芝生は青いもの…
なのに、
「あ、あれ、こっちより良さそうだな」
とよそ見しては、
すぐに「疑」に陥って
ウロウロしてしまうココロ。

朝と晩でも、全然違う。

そんなココロ、しょせん
100%意のままに操るのは、
無理な話ですよね。

とにかく、100%にこだわらないこと。

55%以上好きなこと、

55%だけでも集中できることを、

やり続けていくこと。

それが幸せへの
近道なんだと思います。


え?
50%〜54%くらいの場合は
どうしたらいいのかって?

「どっちにしようか
 決められないとき…」

その答えは簡単です。

自分では決められないので、
「悩まずに時間に任せましょう!」

悩みを握りしめないこと。


悩まずにいれば状況は勝手に変わって、
早晩、答えが45%以下か、
55%以上になって、
自分がどうしたらいいかわかりますよ。
これ、ホント!



日本橋〜深川舟めぐりへ










日本橋から、
また、お舟に乗りました。


全部で6つコースがあるうち、
今回で4つめのコースです。


なぜ、そんなにも
川舟に乗りたがるのか…
ですって?


モチロン、
東京をもっと深く知りたいから
なのですが、


知れば知るほど、
さらに知りたいことや謎が増え、
掴みきれない何かが残るのです。

これぞ探求の原動力、
たまりません












日本橋川_1.JPG
八丁堀、
亀島川の川岸を通って…




隅田川へ出ました。
日本橋川_2.JPG






すみだがわ3.JPG
わお美しきかな


今回のコースでは、
さらにそこから、







あの水門(大島川水門)
をくぐりまして





深川_1.JPG
深川方面へと
連れていっていただきます



ここで江戸東京博物館にある、
東京の地盤地形図を
ご覧ください。
はい、出ました!
またこの地形図です

好きですねえ、私も


願わくば、家にひとつ
欲しいところデス



この模型図の、隅田川の川すじを
よくご覧ください。
線のようにえぐれておりますね。


そしてさらに、
まん中を堂々と走る
濃い青色にご注目ください!


この青は、深いところまで
砂が多くなっている地盤を
示しています。


つまり、太古の昔、
ここは大きな川の河口
だったと言うわけです。


縄文時代の前期、
ここは「奥東京湾」と呼ばれる
入り江でした。



もちろん江戸時代の頃には、
すでに砂がたまって、
平らかな湿地帯となっており、

徳川将軍はそれを海に向かって
さらにどんどん埋め立て、
水路の入り組んだ下町を
南へ南へと広げてゆきました。

(平久川)



(仙台堀川)


(水位ぎりぎりの茂森橋)



(木場公園大橋)

そう、だからなんですね、
川がまっすぐで人工的。

川というより、これは、
埋め立て地に作られた
「水路」なのです。


舟ガイドさんに解説していただき、
私も最近になって初めて
知ったのですが、

家康の頃は、なんと
小名木川のすぐ下は、もう
海だったそうです。


国土地理院の地図にざっくりと
書いてみました。

江東区を横一文字にまっすぐ
流れている赤い線が、
小名木川です。

当時は
ディズニーランドで有名な
浦安市などはまだ影も形も無く、
江東区もほとんど
無かったということになります。

ところが、
江戸時代から現代にかけて、
どんどん埋め立てが進み、
江東区は今も少しずつ面積を
広げ続けているんですね。

現在進行形!


そして、
鬼平犯科帳のあの平蔵さんは、
埋め立て地に住んでいた
江戸っ子だったということに
なるワケです


横十間川_2.JPG
(大横川)
ほんとにまっすぐ!


(ここらへん、
 鬼平さんのご近所辺り)


どこまでもまっすぐ!

この十字路で左に折れて、
小名木川のほうへ。


もやい綱をつなぐ柱が
たくさん残っています。


ちなみに、
小名木川は、千葉県から
「塩」を運ぶために作られた川。

なんと、江戸幕府を開くより前に、
徳川家康が真っ先に着手した
と言われています。

当時はそれほど、塩が大事なもの
だったんですね。


潮の干満に関わらず、
舟を通行させるため、
橋はたった2つしか架ける事が
許されなかったとか。


中川舟番所資料館にあった
明治42年の絵によると
明治の頃はまだ
こんなに川舟がぎっしりで大賑わい。
江戸の面影がそのまま
残っていたそうですよ。




別の日に橋の上から撮った
今の小名木川。

今はなんとも静かです…




小名木川のコシラサギ.JPG
お!
コシラサギがつんと
すましてお出迎え。



水門(新小名木川水門)をくぐって
また隅田川へ出ます。




すみだがわ.JPG
出た!




















すみだがわ_2.JPG
前にそびえるは石川島、月島。
こちらも、もとは
小さなかけらのような島だったとは
とても思えないですよね。

ウォーターフロント開発地区で、
今年一番地価が上がった地区だと
最近ニュースで見たばかりです。



舟から見上げる風景は、
このように、
どこをとっても違う風景が
広がっていて、
飽きることがありません。


皆さんも、
日本橋発着クルーズの舟で
今までより一歩深い東京観光、
してみませんか?


ただいま〜


JUGEMテーマ:東京散歩
 
おかげさまの月
 

今夜は辻ごとに、
同じ方向を見つめる人が
たくさん。

きっと縄文人、
いや、お猿さんの昔から、
こうやってみんなして、
紅い満月を眺めていたんだろうなあ。

ちなみに、満月の日は大潮で、
潮の満ち引きも
もっとも大きくなる日だそうです。

今日は、
赤ちゃんもいっぱい生まれているし、
同時に、息を引き取る人も
たくさんいらっしゃるのでしょう。

地球上の生き物がみんな、
満月に合わせて「阿吽(あうん)」
の呼吸をしているという神秘…

地球もまた、
月の引力や、太陽、
他のいろんな惑星、恒星のおかげで
今のこの位置で、
呼吸ができているんですよね。

まさに「おかげさま」ですね。


JUGEMテーマ:宇宙

東京タワーは巨大な…?
増上寺.JPG
東京で有名なお寺と言えば、
まず真っ先に上がるのが
浅草の「浅草寺」だと思いますが…


徳川家ゆかりの「増上寺」にも、
ぜひとも足を運んでいただきたい


ということで、今日は
増上寺ツアーにご案内します

増上寺を
おすすめする理由は三つです。

その1)まず、何と言っても「広い」!

さすが、徳川家墓所を抱える
由緒正しいお寺。
丁寧に掃き清められた境内は
とても美しく、
歩くだけで、気持ちが
ゆったり、のびのびしてきます。



おすすめの理由
その2)徳川将軍家ゆかりの寺
      =どことなく「雅やか」

増上寺_1.JPG
手水舎もなんとなく
いい味出てるでしょう?



ちなみに
先ほどくぐった赤門は
「中門」でして、



では、「表門」はどこにあるのかと
言うと…
アレなんですね、喧噪の向こう。


この二段の門構えが、
東京ではもはや、とても珍しいのです。


ちなみに、「大門」の外側は
穢れた現世と言われており、

あの「大門」をくぐったときから
だんだんと垢が落ち、


さらに先ほどのこの「解脱門」
をくぐることで、
煩悩から解脱!



階段を登って
阿弥陀さまのもとへ向かうと
増上寺_5.JPG
極楽浄土に至る!

…という、
大変わかりやすい道のりに
なっています。




増上寺_3.JPG

写真にするとわかりにくいのですが、
大梵鐘も、
他のお寺では見たことのない
見事な大きさです。
将軍家の権勢を感じます。

高さは3メートル、重さ15トンで
東日本では最大級だそう。

4代将軍の奥方さまのかんざしまで
使って鋳造されたんですよ。




つづいて、徳川家墓所へ。

増上寺_10.JPG

残念ながら、開門されるのは
土日祝日のみで、今日のところは
中をお見せできません。


拝観は10時から16時まで、
記念品つき500円ですので
皆さん、訪問される際はぜひ、土日祝を
ねらってくださいマセ。


でもね、すごかったんですよ、
ここだけオーブが…

増上寺_14.JPG

見えますか?
たくさん出てました。
やっぱり、守られているのかな。



増上寺_7.JPG


ところで、
このお寺をおすすめする理由。

最後の一つを
まだお伝えしていませんでしたね。

…ということで
三つ目の理由、
それは


「東京アースダイバーを
 実感できる
ということです




一頃前のベストセラー本ですが、
東京の地層に、
深くダイビングすると
いろいろな風景が見えてくる…という
地層好き、歴史好きのハートを
ぎゅうっと掴む内容となっております



私は、今回、あらためて
増上寺を訪れることで
再認識したことがあります。

それは、東京タワーは、実は
東京の巨大な墓標だったのだ!
という発見。

こうした言葉を、中沢新一先生も
言っておられるかどうかは、
もう覚えていませんが、
そう思わずにはいられなかった。


だって
増上寺の解脱門から見ても…
増上寺.JPG


徳川家墓所の
御門から見ても…
増上寺_6.JPG



水子地蔵さんの
向こうにも…

どこを見ても、まっすぐ
天に向かって、東京タワーが
そびえ立つ不思議。


もちろん、東京タワーが
建てられたのは、
増上寺ができたずっとあとの
ことです。

でも大昔、この地は岬の突端で、
縄文貝塚や古墳(前方後円墳)が
発見されています。

つまり、ここはずっと昔から、
死者のための祭礼の場、
神聖な場所だったんですね。


もともと海にも近くて眺めの
いい場所でもあり、
足場の固い台地ですから、
自然と東京タワーの建造地に
選ばれる条件も備えていたということに
なりますが、

それにしたって、
ちょっと異様なほど、
「美しき墓標」として、この地に
マッチしている気がする。


増上寺_19.JPG


「死」に深くまつわる場所には
歴史と人生…つまり人の生きた証が
ぎっしりつまっている。

なんだか、いちだんと
東京タワーが好きになってしまった
私がいます。



最後に余談です。


ここらへんに昔、
「芝のゴルフ場」「芝のプール」
と呼んでいた場所があって、
子どもの頃、よく家族で遊びに
来ていたんですよ。


父、兄、母と遊んだ思い出が
いっぱいあるはずなのに、
場所がどこだったか、
どうしても思い出せない。


確か、仁王門と言われる
古い木造の門があって…

一日遊んで楽しく過ごすためには
その門をどうしても
通らなくちゃいけなくて、


ちびっちゃうほど
怖かったんだけど、


その門、どこにあるんだろう?

増上寺_15.JPG
(二天門)

ここか?
うん、感じた怖さは似てる。

でも、こんなに豪華な感じじゃ
なかったなあ。


増上寺_16.JPG
(黒門)

ここかしら?
でも、仁王像、無いし…


あれ?

仁王門.jpg
(惣門)


増上寺_17.JPG


増上寺_18.JPG

ここ?


こんなにキレイな門、
こんなに色鮮やかな像
だったっけ…


たぶん、赤く塗り直して
お化粧直しされたのでしょうね。
もう全然怖くなくなっていました。
(ちょびっと残念…



皆さんも、
浅草寺に飽きたら、増上寺
ぜひぜひ、訪れてみてください。

言葉では言い尽くせない何かを
体感できる、不思議かつ
神聖な場所ですよ。


JUGEMテーマ:東京散歩
ヤフーメール通信障害、3日め!

メインで使っている
メールサーバーが
通信障害でダウンしてしまって、
もう3日目になります。

ショックは
ジワジワとしみています。
(特に心理的ショック)

ダウンしているのは
全体のたった8%と言いますが、
それでも400万IDもの数。

…が、
ニュースでも報道されないし、
他のメールサーバーを使っている方や、
ヤフーメールの残りの92%の方に
とっては痛くもかゆくもない話なので、

「あれ? メール送っても
 まだ返事がこない………
 無視か、ひどいな」

ということになってしまいます

違うんですよ!
ヤフーメールの不具合の8%の中に
どういう訳か入ってしまって、
それが3日も
続いてしまっているんで〜す

…と叫んだところで、
このブログを見ないでメールしてくださっ
てる方には、
どうにも言い訳のしようがない状態です。

この3日の間にご連絡くださった方、
いらっしゃったら
本当に申し訳ございません。

◎電話
◎FAX
◎ホームページの連絡欄
◎もしくはこのブログのコメント欄
にご連絡ください。


もちろん、通信障害に入る前から
やり取りしている方とは、
他のメールサーバーを使ったり、
電話で連絡しあったりしています。


でも、
「今後、名刺に載せるアドレス、
 どうしよう…」
「というか、今まで名刺を
 お渡ししてきた方との御縁は
 どうなるんだろう?」
と考えると、
なんとなく、スッキリしない気分


ああ、自分の毎日が
こんなにもろい砂の上に
成り立っていたなんて


しかもマイノリティの意見の弱さ、
ヒシヒシと実感中。

…ううう、それでも
オラ、負けねえだ!

JUGEMテーマ:日常

10月4日朝追記:
まる4日ダウンでしたが、
本日5日めの朝、直っていました!!
ただただ嬉しい♪
やっぱりメールは情報の循環器。
止めてはいけないものですね。
よろしくお願いします、ヤフーさん